祈らないことで罪を犯すことのないように:

祈らないことで罪を犯すことのないように:

私たち、クリスチャン、神の子とさらた者達は、このような破壊的な台風に曝されようとしている自国の人達のために、必死になって祈ることが必要であると思います。

 イエス様は、嵐を鎮めることのできる方です。その方を自分の神として信じている私たちは、少なくとも、同朋のために、「主よ、お助け下さい。大勢の人達が破滅的な被害に遭遇しようとしています。すぐに、この嵐を鎮めて下さい」と嘆願すべきだと思います。

 以下に、いくつかの聖句を挙げます。祈りましょう。そして主が私たちに憐れみを示して下さいますように! そして世界中でこうしたことが起こっているということは、世界に対する神よりの警告であると思います。それが空中の権を持つ君である悪魔を使ってでも、それが許されて起こるのは、世界がそれにふさわしい警告を受けているのだと思います。かつてなく今後もないような、艱難を前に、わたしたち人類は、真の悔い改めができるでしょうか?

それとも、主に憐れみを示されて、大きな被害を免れると、やはり何事もなかったかのように、同じ状態を続けると神様はわかっておられるのでしょうか?

ニネベ、一度はヨナの宣教で悔い改めてその滅びを免れた町は、結局、後でまた頑なになって、滅びるに至りました。

 私たちが、裁きに値するどんな罪があるというのか、という思いを抱くほど、あなたから遠く離れて、神はいないと心の中で思う愚かさ…主よ、憐れんでください。あなたの警告に耳を傾け、あなたに立ち返る人がいますように。

 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。 ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。 (マルコ 4章35-41節)

よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。 また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。 (マタイ 18章18-20節)

また、わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう。わたしはまた良い、正しい道を、あなたがたに教えるであろう。 (サムエル上12章23節)

主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。 (ヨナ4章10-11節)

これらの災害で殺されずに残った人々は、自分の手で造ったものについて、悔い改めようとせず、また悪霊のたぐいや、金、銀、銅、石、木で造られ、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、やめようともしなかった。 また、彼らは、その犯した殺人や、まじないや、不品行や、盗みを悔い改めようとしなかった。 (黙示録 9章20-21節)

あなたが呼ばわる時、あなたが集めておいた偶像にあなたを救わせよ。風は彼らを運び去り、息は彼らを取り去る。しかしわたしに寄り頼む者は地を継ぎ、わが聖なる山をまもる。 (イザヤ 57章13節)

いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。 わたしはかぎりなく争わない、また絶えず怒らない。霊はわたしから出、いのちの息はわたしがつくったからだ。 ( イザヤ57章15-16節)

 主イエスよ。あなたに呼び求める大勢のあなたの子らと共にこの祈りを捧げます。風も嵐も鎮める神であられる主よ。憐れみを垂れて下さい。あなたを知らない右も左もわきまえない人たち、自ら進んで何が正しいかをはっきりと選択して、正しい道に進もうとしないこの民、村八分になるのを恐れて、間違ったことと知っても、見ざる、言わざる、聞かざるを良い処世術としている民。木の神、石の神、自分の手で作った偶像に頭を下げる民、あるいは科学万能と思っている民、人がインプットしたに過ぎない情報の寄せ集めであるのに、それを神であるかのように頼りにしている民…。創造者であられるあなたからしたら、われわれ被造物が何か知っていると思うなら、知らなければならないことも知ってはいないと戒めておられます。主よ助けてください。

今あなたが、地を揺るがし、嵐をもたらして、すべてのものの創造者であられることを示しておられても、ただもろもろの現象に新しい名前のレッテルを貼りつけては自分たちで納得している人達…。

 愚かな者は、心のうちに神はいないと、言うとありますが、そのような境遇と環境の中で、まことの神でもないものを神として、子供のころから教えられてきたこの民を、憐れんでください。今はやりのテクノロジーの魔術に驚かされると、ただそれに頭を下げ、時間を費やし、夢中になってしまい、悪霊を拝むに至ってもそれを悟ることもできません。

 あなたが管理するようにと命じ、与えて下さった、田畑も山も、私たちは捨てました。われらを赦して、あなたに立ち返らせて下さい。もし、誰か、心から同じ祈りを捧げている人達がいたら、その人の祈りと共にこの祈りを受け入れて下さい。

 嵐さえも、あなたの御力、あなたの偉大さに気づくときにして下さい。今一度、憐れみを垂れてください。私たちがあなたに立ち返ることができますように。

 

 あなたは、地震が起こり、戦争、そして戦争のうわさが起こり、疫病がはやり、飢饉が起こると言われました。それらのあなたが言われた時のしるしが起こっても、私たちは、自ら悟ろうとしません。そうであってほしくないと思うのです。しかし、あなたは私たちに警告されました。御心でしたら、お救い下さい。しかし、あなたの御計画がなされ、あなたが全てをつかさどっておられることを人が知るに至りますように。しかし、あなたが憐れみ深い神であられます。ぎりぎりなことに直面する人達に、気づくチャンスを与えて下さい。

 エゼキエル14章には、非常に厳しいことが記されていますが、各自が主に向き合い、各自が自らの神に対する態度に責任を持つ必要があるのです。ただ主の憐れみを乞いましょう。

私たちの信仰の励ましのためだけでも、「神には何でもできないことはない」ということを示されて、御自身に栄光が帰されるためにも、そしてあなたの御言葉が真実であることを示されるために、どうかわれらの祈りをお聞きください。

天においても地においてもいっさいの権威をお持ちの方、主イエスよ、空中の権を持つ君を封じてください。あなたこそ、神です!

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