主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。(ローマ13章14節)
昨夜、息子の家に泊めてもらいましたが、疲れてシャワーをしないで横になっていました。起きた時には、自分の汗で濡れたシャツを、駐車場まで行って着替えようか、どうしようかしばらく迷っていました。駐車場まで少し離れているので、おっくだったのです。しかし、ついに着替えてきた時、やはりさっぱりしました。
その時、「新しい人を着なさい」という聖句が、もっと意味をなして理解できたように思えました。
私たちは、主イエスにあって新しく造られた者です。体がどういう状態であろうと、中身は変わったのです。つまり、イエス様の流された犠牲の血によって、イエス・キリストに買い戻された者となったのです。私たちは、以前の罪ある言動を捨てる必要があるのです。中身が変わっていれば、いいだろう、ではないのです。あるいは、変わったふりをしていればいいだろう、でもない。真に変わったのだから、真に変わった者としての行いと言葉に生きる必要があるのです。
イエス・キリストを信じる信仰によって救われた私たちは、御霊を頂いている、新しく造られた者です。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(第二コリント5章17節)
だから、「…あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、 心の深みまで新たにされて、 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。 こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。」なのです。 (エペソ4章21-25節)
このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。 また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。 (コロサイ2章6-7節)
霊が新たにされても、まだ思いが服従していないなら、行動がそれに伴いません。それなので、私たちの中にあるキリストに服従しない(思いの中にある敵の)要塞を打ち壊すべきなのです。古くから敵によって築きあげられた障害物や敵の要塞を、思いの中から取り除くことが必要なのです。これには深い御言葉の学びと、聖霊に教えていただくことが必要です。
わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、 そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。 (第二コリント10章4-6節)
神による裁き、艱難の時期が迫っている中で、主は、私たちが完全に服従するように、色々と働きかけて下さっているのです。なぜなら、神の御心の中心にしか、安全な場所はなくなるからです。