神の時
イスラエルの民が、出エジプトを神の定めた時以外に企てても、うまくはいかなかったことでしょう(出エジプト14章参照)。その前も、その後も、同じことをしようにもできなかったでしょう。すべてのことには、時があり、また神が働かれる特別な時があります。
そして、その時には、人の力を超えたことが次から次へと起こります。特に再臨の時は、人手によらないことが、起こります(反キリストも再臨前に、偽のしるしをして人々を惑わすでしょうが)。(ダニエル2章45節参照)
個人のためにも、主は色々としるしを送られ、聖霊の証をもって、そして聖霊が御言葉を思い起こさせて、語って下さいます。
私たちは、その御声に聞き従う訓練を今受けているのです。
すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 (ローマ8章14節)
神の御霊に導かれるには、真の信仰を要しますが、真の信仰には、ためらいがありません。ヤコブの手紙の中に、「生きた信仰」の実例として挙げられた「アブラハム」と「ラハブ」の二人も、ためらうことをしませんでした。
わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。 (ヤコブ2章21節)
同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。 (ヤコブ2章25節)
そして、イエス様に従った漁師たちのことは言うまでもありません。
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 (マタイ 4章19-20節)
私たちが、日々従順になって、御霊の御声に聞き従う者となれますように。