暗闇に輝くともしび
昨日、村のバーベキューの会があり、私の同窓生が誘ってくれたこともあって、妻と一緒に参加しました。そこで、私たちのテーブルに一緒に腰かけた、別の同窓生に、「先日の大雨で、<私たちの地域では名所とされている>ナベ岩が崩れてしまったの、聞いた?」と尋ねられました。この名所を復活させようと、近年、私もそこにボランティアで、草刈りに何度か参加していました。昨年は、海外から一時帰郷していた長女とその家族とも、そこに行ってその神秘的な場所を堪能することができました。村の有志らが、そこを復活させたいと願って取り組んでいたプロジェクトです。
私の家の前の沢の氾濫といい、また村の堰が壊れたり、また昔からの名所の岩が崩れたり…幸い、人は怪我もなく、また人家に関してはわずかの床下浸水で終わったものの、やはり、これは主が、思いやりをもって警告してくださっているのだと、感ぜざるを得ません。ただ世界の情勢だけではなく、身近な、ライフスタイルにも変化が起こりつつあり、私たちはそれを認めて、神に目を向けなければならない時が来ているのです。
幸い、私に語り掛けてきた、友人とは、聖書のこと、預言の話などを話すことができました。その会に出席する前に、妻と特別な証ができる人と時間を過ごすことができるようにと、お祈りしていたのです。主は祈りに応えてくださいました。
主は、すべてのこと、この世界の変遷や、災害でさえも、主の証として用いられているように思えます。深まる闇の中で、光を求める人達に希望の光を携える者となれますように。
こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。 (第二ペテロ1章19節)
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(ピリピ2章15節)