賞を得るために
競技をするために、この世の競技においてさえ、あらゆる節制をします。霊の戦争に従事している私たちは、自分と主との関係を弱くするどんなところも、改めていく必要があります。
御言葉にそぐわないもの、世に対する愛に気づかせられたら、悔い改めて、主に近づくために、自分を引き下げるものを捨てていくことができますように。主の恵みがありますように。
神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。 (エペソ4章30節)
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕(ヨハネ8章11節)
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。 (ガラテヤ 5章16節)
わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。 あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。 しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。 そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。 (第一コリント9章19-27節)