執筆者 Akashi | 7月 30, 2024 | 記事
御心を行う器となるために 神の御心は、失われた者に手を伸ばす。自分の命を惜しんでいると、それができない。 パウロは、「生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしのうちに生きておられる」と言いました。キリストのわざをするにあたり、まだ自分が生きていて、自分のしたいことを求めている自分がそこにいるなら、神の御心を行うことの妨げとなってしまいます。 肉はわきにどかないといけません。 みこころがなりますように、と祈りながら、肉の思いが胡坐をかいて邪魔になってはいけないのです。...