力は主にある
人生は旅。クリスチャンにとっては、巡礼の旅です。どこに向かっているかというと天にあるふるさとです。主からの任務を果たしつつ歩んでいく荒野の旅です。
信者が聖書の真理に立って、信仰に生きようとする際、この世はそれに対してあらゆる面で立ちはだかってきますので、荒野というのがふさわしいです。荒野は、供給においても、保護においても、また子供を世話し、家族を守るにも、ただ神に頼るしかない困難な場所です。しかし神がおられるなら、そこは祝福の場所となります。
そして地上の荒野での主に導かれる歩みは将来の困難な時(特に私たちに迫りつつある艱難期)のための備えでもあります。
その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。 彼らは[干からびた]バカの谷(すなわち、人生の荒れ地)を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこを[祝福で]おおいます。 彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。 (詩篇 84篇5-7節)<付け足し註は、ichthys.comから>
試練の荒野で疲れた時、進み続ける力と恵みは主からきます。
あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。 弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。 年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。 (イザヤ 40章28-31節)
イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。 (マルコ 10章27節)
ダビデの歌 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。(2)主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。(3)主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。(4)たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。(5)あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。(6)わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。(詩篇23篇)
主イエスは、私たちの魂の牧者であって、私たちに何が必要かご存じです。将来のためにどのような訓練をもって備えたらいいかよく知っておられます。
愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。 (第一ペテロ 4章12-13節)
私たちが、降りかかる試練にたじろぐことのない者とされるための主がゆるされた試錬です。主の愛を信じて、賛美します。
更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、 光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。 (コロサイ1章11-12節)