荒野で…

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2024年7月17日

荒野で…

荒野にいるから、大いなる都がどんなものか見えてくる

レールから外れて、はじめてレールの上をがむしゃらに走ることがどんなものか見えてくる

自国から離れて、はじめて自国が見えてくる

村八分にされて、はじめてその村が見えてくる

辱めを負って、はじめてあざける者の座に座らぬ者の幸いを知る

悪霊に悩まされて、はじめて解放の喜びを知る

イエスは、

神であられることを捨てて、肉をまとわれた神だから

病を身に負うこと、人から傷つけられること、卑しめられること、あざけられること、貧しくなること、裏切られること、殺されること、罪を着せらえること… がどんなだか知っておられる。荒野で悪魔に打ち勝たれた神が、その悩ます穢れた力を制される。このイエスが荒野の旅路を共に歩んでくださる。

キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 (ピリピ書 2章6-8節)

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。 だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。 (ヘブル 4章15-16節)

だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 (第一ペテロ 5章6-10節)

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