悪の霊に対する戦い(エペソ6章12節)

j
2024年7月16日

悪の霊に対する戦い(エペソ6章12節)

 私たちは、霊の戦いに従事していることになっています。しかし、霊の戦いであるのに、霊の武器を十分ふるっていない時があると思います。主は霊の戦いを通して、その戦いをどのように戦うかを教えておられるのだと思います。戦い方は、戦うことを重ねてしか練達しません。

 イエスがゲラサの地で会われた男の人、彼は大勢の悪霊につかれていました。

一人の人の中にどうしてそれほども多くの霊が入れるのか、肉的に考えるとなかなか合点がいかないかもしれません。しかし、御言葉が言っていることを受け入れるなら、これは、大勢の霊です。「レギオン」は、古代ローマの軍隊の一つの軍団に使われる言葉です。

それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。 (マルコ5章2-13節)

 人はこれを閉じ込めよう、鎖でつなごうとしてもできませんでした。しかし、イエスは、それらの霊どもに命じることによって霊どもを追い払うことができました。私たちには、それらに対抗する力がありませんが、イエス・キリストの力によって、追い払うことができます。

 原因が、霊どもである時、それをそうでないかのようにふるまうこともできません。的外しの対処となるでしょう。そしてそれに(医学、心理学用語で説明して)いろいろなレッテルを貼ってもしようがありません。鎖でつなぐことも、閉じ込めることも無駄で、根本的な解決策ではないのです。しかし、的をついた対処がされた時、この場合は悪霊どもだったので、悪霊が追い払われた時には、即座に、この男の人は正気になったのです。

 大勢の霊どもが操る場合、ある場合は、この悪霊が、ある場合があの悪霊が..ということになるでしょう。それを対処しようとする人は、その犠牲になっている人ではなくて、その背後にいるそれらの霊ども一つづつを対処していく必要があります。霊の識別を求めて、複数の祈りの戦士がいると助かります。

よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐこと<悪霊を縛ること>は、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。 また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。(マタイ18章18-19節)

しかし神がその状況を許され、一人で対処しなければならない状況でも、ひるむべきではないです。困難な戦いに遭遇した場合、祈りの友にとりなしてもらうことは、大きな助けになります。しかし、その場で対処する人にも、信仰が必要です。いったん攻撃をかけられると、敵はかえって暴れさせたり、悪態をつかせたりするでしょう。これに驚かされるべきではありません。敵にとっては、自分たちが対処されて、底知れぬ所に送り込まれようとしていることに、何もしないでいることはないでしょう。しかし、全ての勝利をすでに得ているイエスに信頼しましょう。

子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは<イエス・キリスト、神の霊>、世にある者<サタン、悪霊ども>よりも大いなる者なのである。 (第一ヨハネ 4章4節)

 私たちが慌てたり、取り乱したり、また犠牲者に対して、(悪霊が穢れた言葉を犠牲者の口を通して語らせたり、また行動させたりしても)、対処が冷静で、落ち着いたものであるべきです。愛のうちにいるべきです。悪霊は、私たちも罪を犯すようにさせようとしているからです。

しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。 (ルカ10章20節)

 私たちには、霊どもを従える力がイエス・キリストにあって与えられているものの、イエス様のように、一度に全部を始末できない場合があるのは、きっとそれらの戦いを通して、祈る者に霊の戦いを学ばせたいからではないかと、思います。

 この世の名声を求める霊、敵意の霊、苦い思いの霊、傲慢の霊、獣の霊、暴力の霊、落胆の霊…この世を支配しているもろもろの霊がいるのです。

さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。 (エペソ2章1-2節)

それらが犠牲者の思いを操作することが分かった時、それに対して名指しで、対抗することが答えにつながります。もうこの犠牲者の中には、居座っておれないと思えるほどに、祈りで攻撃される時、霊どもはそこに居座りたいとは思わないでしょう。

 悩ます霊が複数の場合、戦いの焦点が当てにくくなります。こちらの祈りも、空を打つようなものになってしまうかもしれません。しかし複数で、もろもろの悪霊だとわかると、一匹づつ見定めて対抗するのが効果があると、私個人は思っています。狙撃兵のように狙い撃ちです。私たちはこのために、霊の識別を与えて下さるように祈るべきです。これは、まったく人の肉によるのではなく、ただイエスの勝利によるものです。

イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。 すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。 人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。 (マルコ1章25-27節)

あなたがたは、むなしいだましごとの哲学(科学)で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。(コロサイ 2章8節)

科学用語、医学用語で、その人の状況をレッテル貼りしても、そうした科学分野を支配する、「キリストに従わない」霊どもが支配しているので、キリストに頼るべきなのに、さらにキリストに従わないこの世の権威によりかかっても根本的な解決を期待できないでしょう。

 

 祈りも、肉のわざになる時があります。祈り自体が、お経のようなもの、数多く祈ればと、肉の力でのくり返しになっているなら、信仰の面で、引き上げて頂くように祈ったらいいでしょう。次の聖句を覚えておきましょう。真の戦いは、主イエスが、やってくださる。私たちのうちに働く神の力が悪霊を対処されるのです。悪霊はイエス・キリストに対抗できません。私たちは、これが霊の戦いであるという信仰、イエスが私たちのために、悪霊どもと戦って下さる、イエスが勝利の主であるということを信じる信仰が必要です。

…主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。 (ゼカリヤ4章6節)

 救出されたら…

 祈りのあと、救出されたら、犠牲者だった人も、そばにいる人も、霊どもが戻ってきて入り込むすきを与えないことです。昔のライフスタイルから離れて、新しい思考回路、つまり聖書の言葉に基づいた思考がその人の中に生かされているべきです。そうした中に悪霊どもは入ってきたくないでしょう。この世から見て受け入れられる「きれいに飾り立てられた」状態は悪霊どもにとってのお気に入りです。悪魔の嘘が入り込めないほど、聖書の真理で満たされましょう。

汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。 そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。(マタイ12章43-45節)

他の投稿もチェック

光 イエス・キリストの名前-b-x 聖書の基本4A-27 https://ichthys.com/4A-Christo.htm ロバート・D・ルギンビル博士著                 18) 光:  神であるイエスは光です(第一ヨハネ1章5節参照; ヤコブ1章17節; 黙示録22章5節も参照)。...

いのち

いのち イエス・キリストの名前-b-viiii 聖書の基本4A-26 https://ichthys.com/4A-Christo.htm ロバート・D・ルギンビル博士著                 17) いのち ...