ゴメンなさい

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2024年7月15日

ゴメンなさい

昨日、大豆とオクラの混作している畝の脇に生えている草を草刈り機で刈っていた時、自分では注意していたつもりでも、オクラの苗の葉っぱを切っていたことがわかりました。娘がそれらの草と一緒に切り取られた小さな葉っぱを手に取り上げて、悲しんでいたのは言うまでもありません。最近は、大体、娘が種から苗を育てています。

 私は、「ごめん。気をつてたけど。見えなかった…」

彼女は、「オクラの三分の一を、ダメにしちゃった」その後は、会話は続かず、彼女は、他の畑仕事に戻っていきました。私は、少し落胆に襲われましたが、ただ主人に実をもたらそうと雑草の中で、生き延びようとしていたオクラたちの命を断ってしまった自分と、過去のそして最近も、人と神の心を痛めるような自分の罪深さを思い出して、さらにやるせない気持ちになってしまいました。

 しかし、オクラをわざと切ろうとしていたわけではなく、またわざと他の人の心を傷つけようとしたわけでもないことは、神様がわかってくれています。ただ、自分の不注意さ、自己中心さ、それらの結果を刈り取り、誰かが意気消沈したこと、傷ついたことは、やはり現実です。そしてその結果を導く道具となった者が自分であったということも落胆させる事実です。

 夕食の時、娘が私に、「パパ、ごめんね。そんなにオクラ切られてなかったよ。はじめ私は三分の一も<オクラが草と一緒に>切られてしまったと思ったんだ」

  言い合えて、赦しあえて、うれしい。赦し、赦されるから、今日も元気に頑張れる!

互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。 (エペソ 4章32節)

互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。 これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。 (コロサイ3章13-14節)

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