信仰の歩みはこの世の尺度で測れないし、計算できるものではない。そしてうまい計略が通用するものでもない。
神の導きに信頼して、一歩踏み出したら、わき目をふらずに歩んだらいい。(創世記19章15節)
ロトの妻は、振り返って塩の柱にされてしまった。(創世記19章26節)
私は明日のことを知らない。神は時間を超えておられる。だから神の言われたことに信頼して従う。行先を知っておられる方が導かれるから。(ヘブル11章8節)
私たちに良いわざを始められた方が、その日までに完成してくださるのだから。(ピリピ1章6節)
この異邦人の女性は、神の愛を信じて疑わなかった:
そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。 すると、女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。 (マルコ7章25-29節)
イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。 また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。(マタイ 21章21-22節)