心の畑

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2024年6月27日

心の畑

イノシシが隣の部落まで来て被害が発生している、ということは前から聞いていたので、フェンス(電柵)を設置しなければならないとわかっていたのですが、雪で斜めになったり、腐った柵の杭を取り換えて打ち付けるという作業は、今の私にはできない、と思っていました。

 それで、主に祈るしかない、主には何でもできるから、御心であれば、電柵を畑の周りに設置するのを助けて下さると思いました。そしてそれができなくても、主は畑を守ることができる、神にはどんなことでもできる、信頼すべきだという思いが来ました。主は祈りに答えられます。

 一応、息子には声をかけていたのですが、どうしても納期に合わせてやっている仕事から手を離せないから、と言われました。それで、どうしたらいいものか…と思っていたら、もう一人の娘がやってきて、一時間だったら助けることができる、と言ってくれたのです。そして、なんと息子もやってきて、何とか時間を都合つけてくれたのです。私は草刈をした段階で、これ以上、術後の自分の体に負担をかけたらいけないな、という感じがしたので、休むしかなかったのですが、子供たち三人が力を合わせてやってくれたおかげで、杭が立てられ、電気の線が張り巡らされ、最後に電圧を計ったら、十分な電気が流れていることを確認できました。

感謝です!! 祈りって本当に答えられる。期待していた以上に答えられる!

途方もない仕事が半日で終えることができました。

この辺では、熊も悠々と畑の中に入ってくることがあるので、安心して畑作をするためにこれはやっておきたかったことでした。自分の肉の力では無理でも、主は人の心に働きかけて下さる、感謝!!

 

私たちの心の畑に攻撃してくる悪霊どものもたらす思い、どうしようもない、無理だ、あきらめるしかないという思い、物事を否定的に捉えさせる考え…が心の柵を乗り越えて、私の畑を荒らすままにさせるわけにはいきません。

そこからどんな良いものが出てくるでしょうか。一見理にかない、そして(今のトレンドだから)当然でしょ、という考えでも、それが神の御言葉の真理に沿わず御霊の導きに導かれていないなら、それらの思いに対して防御を下げるとあとで、それらは毒草以外の何物でもなかった、と悔いることになります。

 神の御言葉はフェンスです。悪霊どもとその教え、プロパガンダをはじき飛ばします。主が私たちの心の畑を、天からの良きもので守ってくださいますように!

よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。 門からはいる者は、羊の羊飼である。 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。 (ヨハネ10章1-4節)

 また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。 (マタイ16章10-12節)

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。 (第一ヨハネ 4章1-3節)

へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。(創世記 3章4-6節)

教訓をかたくとらえて、離してはならない、それを守れ、それはあなたの命である…わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。 それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。 油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。 (箴言 4章13節, 20-23節)

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