より良いものを受けるために 

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2024年6月14日

より良いものを受けるために (A1)

より良いものを受け取るために、今、手に握りしめているものを手放さなければならない。

自分が執着の奴隷となっていることは、なかなか受け入れがたい。

自分が、良いと思っているものにどれだけの神経をすり減らしていることか。

しかし、神は、私たちが、自ら気づいてより良いものを求めて、その手を神に伸ばすことを待っておられる

偽りを手放して、真理を求めること

自分の理解を捨てて、神の思いを受けること

自分の感覚を捨てて、神の御言葉を受け入れること

イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 (マタイ4章19-20 節)

あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。 夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。 そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。(ローマ13章11-13節)

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