時をこえた方のもとに

ひとしずく4795時をこえた方のもとに

愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。 (第二ペテロ 3章8節)

 ここ数日、ヘルニアの手術で入院していました。お祈りしてくださっていた方たちのおかげで、<おそらくクリスチャンだと私は思うのですが>特別素敵な担当医師と担当の看護婦さんに恵まれました。この方たちにお会いしただけでも、入院した価値があったと思えるほどでした。大げさな表現に思えるかもしれませんが、この世の闇の中で、光として輝く人達とはこういう人達ではないかと思いました。

 本当によく世話してくださった看護婦さんに、何年間勤務しておられるのですか?と尋ねたら、「十六年です」と答えられました。それで、「ではベテランですね」と言ったら、「私なんか、ペーペーです」と。「Mさんは(私のことを宣教師として知って)、もっと大変ですね。神様にお祈りしています」。お祈りによってカバーされていると、あらゆることまで神様が手配してくださっていることに驚きでした。この看護婦さんには、この入院前に合わせて制作した再版の冊子をお渡しすることができました。次の日は自分の休みになるので、もう会えないということで、わざわざ挨拶に来てくださったのです。その時、彼女と医師の方にも渡してくれるように、冊子をお渡ししました。とても喜んで受け取ってくれました。私のこの病院に行くにあたり、入院時間が少ないだろうと思い冊子をだれかに渡せるようにお祈りしていたのです。

 手術もスムーズに行き、全身麻酔から目覚めて、気づいた時には病室にいました。しかし、尿、心電図、点滴などのコードがたくさんつながっており、その日は、ベッドに寝たきりでした。特にその日の夜、体を動かせないため、背中が痛くてこれには弱りました。

 うとうとしても、痛くてすぐに目覚めますが、体を動かせないので、痛みをこらえる、これのくり返しで、早く朝になって、チューブを外してもらい、すぐに家に帰してもらおうという思いがつのりました。そこで、私みたいに、簡単な手術で、すぐに退院できるわけではない、入院している多くの人たちのことを思いました。はじめ入った時は大部屋で、入院の翌日の朝、手術着に着替えていたら、点滴のスタンドにつかまって洗面室に歩いていく同室のおじいさんが、「退院かい? いいなー」と子供みたいな言葉で話しました。それで、「いえ、今日は手術です」と言うと、同じく「退院か、いいなー」と言っていたので、多分耳が遠いのかもしれないと思い、もう説明するのをやめましたが、どれだけ、こうした状態から早く抜け出したいと思っていることだろうと思いました。そんな人のことや、入退院を繰り返している人のこと、またずっと車いすに縛られるようになった人のことを思いました。自分にとってこんなにも時間というものが長く感じられるのなら、これらの人にとってはどれだけ長く、忍耐を試されるものだろうか、と感じました。

 痛みの中で、携帯に手を伸ばして、時刻を見ます。まだ夜中の12時にもなっていない。そしてまた眠ろうとします。だいぶ経ったと思い、また携帯に手をやり、見ても10分しか経っていない。そんなことを繰り返していて、夜がとても長く感じられたのです。

 そして、ああ、主は祈らせたいのだと思い、思い出す限りの人たちのために祈ることにしました。次から次へと、普段、祈れていなかった人達のために祈れました。不思議なことに、祈っていると痛みを忘れました。そして時間が早く過ぎていくのです。

 時を超えて存在しておられる方のもとに行って、心を注ぐと、その永遠の御性質を御霊のうちに頂けて、自分の体の痛みやこの世のことの煩いから解放されて、主の思いを持たせていただけるのでしょう。思い煩いがなくなり、永遠の視点を持たせてもらえるのです。常にそうした立場にいるべきなのでしょうが、眠れない夜のうちにあって、再び思い起こさせて頂けたこと感謝です。

 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 (ピリピ4章6-7節)

 普通だったら、もう少し長く手術後は入院してもらうのだそうですが、「本人の希望ですから」と担当医が融通してくださいました。これにも主の愛を感じました。

 昨日の退院の時には、家内と娘の一人が迎えに来てくれました。

帰りの車の中で、私たちの愛する姉妹Sさんが卒業したことを聞きました。もう意識はなくなっていたのですが、主が迎えられたのです。先に主のもとに行かれた姉妹のことを思い、さらに自分のこの地上での召しを真剣に受け止めさせられています。

愛する皆さんからのたくさんの励ましとお祈り、心から感謝しています。主の恵みで満たされますように。

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