ひとしずく843–聖なる喜びを もって
「沈黙のあきらめをもってではなく、聖なる喜びをもってこの苦しみを受け入れることが出来ますように。ただつぶやかない というだけでなく、賛美の歌を歌いつつ、この苦しみを神さまのみこころとして受け入れることが出来ますように。」
これは、ジョージ・マセソンが捧げた祈りの言葉です。彼は失明 し、またそのせいで、恋人が彼のもとを去って行きました。こんな孤独で辛い経験をした彼が捧げた祈りだと思うと、ひと際、心に迫りくるも のがあります。
さて、この祈りを捧げたジョージ・マセソンとはどんな人だったの か、インターネットで調べてみました。
「ジョージ・マセソンはス コットランドの都市グラスゴーの裕福な商人の子として生まれました。幼い時から極度の弱視で、いずれ失明するであろうとの宣告を受けてい ました。しかし彼はこれに挫けず、エディンバラ大学に入って法律学を学び、最優秀の成績で卒業します。その頃彼は既に全く失明してしまっ ていましたが、さらに4年間神学を学び、1866年牧師の資格を得、2年間グラス ゴー市内の教会で働いた後、スコットランドの海岸保養地イネランの小さな教会に赴任します。彼はこの教会に18年、次いでエディンバラのセント・バーナード教会という大教会で13年間奉仕します。盲目であったにもかかわらず、どちらの教会でも彼は心血を注いで信徒 を導き、熱情を込めて説教したといわれ、保養地イネランでは、彼の説教を聞くのが目的で、夏の間保養客が増加したということですし、セン ト・バーナードの方では、5年間に300人以上会員が増えたと伝えられています。 ヴィクトリア女王も彼の説教に感銘を受けられたといいます。」
(高崎裕士の「永遠の生命の ホームページ」より抜粋)
こう見ると、彼は逆境をもの ともしない強い人のように思えますが、決してそんなことはありません。彼も私たちと同じ弱さをもった一人の人間でした。
彼は、数々の讃美歌を作った 人としても知られていますが、讃美歌360番「疲れしこころをなぐさむる愛よ」 は、彼の苦悩から生まれた讃美歌であると言われています。
「この讃美歌が書かれたの は、1882年、彼が40歳 の年の6月6日の夜のことと言われており、その日は、彼の妹の結婚式があり、家族は皆、式が行われたグラスゴーへ行ってしまっていまし た。そして彼一人だけがイネランの牧師館に残っていました。彼の残した日記によれば、その夜「自分だけが知っているある激しい苦しみ」に 襲われ、無我夢中でわずか5分ぐらいの間に、内なる声に促されるようにこの讃美歌を書き上げたということです。全盲になってしまった ジョージを支えたのは彼の姉と妹でした。姉は生涯結婚せず、弟のために尽くしました。ただ身の回りの世話をしただけでなく、彼の学問的研 究を助けるため、ラテン語、ヘブル語、ギリシャ語まで習得したということです。妹も同様彼に尽くしましたが、ジョージはこの妹を ことのほか愛していました。
」(高崎裕士の「永遠の生命 のホームページ」より抜粋)
♪讃美歌360番「疲れしこころを なぐさむる愛よ」 私を決して手放すことがない「愛」よ、 疲れた魂をあなたのうちに憩わせます。 あなたから与えられたこの命を、お返しします。 あなたの大海の深みにあって、 私の命がより豊かになるために。 私の道を照らす「光」よ、 消えかかっている灯をお返しします。 再びあなたから光を受け、あなたの太陽の輝きによって、 さらに明るく美しくなるために。 痛みを通して私を訪ね求める「喜び」よ、 あなたに私の心を閉ざすことはできません。 雨を通して虹の行方を探り、私達に与えられた約束は空しくなく、 よみがえりの朝は涙なきものであると信じます。 私の頭を持ち上げる十字架よ、 あなたから逃げ去ることはできません。 この世の栄誉を塵のように捨て去るとき、大地から永遠の命が、 深紅の花のように咲き出るのです。(訳:大塚 野百合)
素晴らしい讃美歌です。
苦 悩の中にあっても、苦悩にではなく、イエスに、そしてその約束と平安と喜びに必死に目を留めようとしている彼の信仰が、本当に素晴らしいと思います。彼は 痛みを通して喜びを、雨を通して虹の行方を探りました。したがって、彼の信仰とは、まさしくその痛みと雨の中において、つまり弱さの内に おいて、主の御許に行くことによって、培われたものだったのです。
さらに彼の言葉からです。
「物 事が私に非常に暗く見える時があります。暗さは、あまりに暗く、希望さえも遠くに行ったように思われました。物事の実現の遅延さえ苦痛を伴うのに、期待に 反して、かすかな光さえ見えないのです。しかし、私は絶望を拒否します。窓の向こうにあるもの、それは闇夜のみですが、窓は開いておきま しょう。それは、 やがて闇夜に輝く星が出るかもしれないからです。私の心にも、今は空洞(虚 ろ)があります。しかし、そのところが、素晴らしいもので満たされるまで、そっと しておきましょう。
これが、この世界の崇高な忍耐の理(ことわり)なのです。大試練の中 のヨブが、そうでした。モリヤの山への道を辿った時のアブラハムが、ミデアンの荒野でのモーセが、そうでした。ゲッセマネの園の人の子(イエス・キリスト)が、そうでし た。」
どうか私たちも、苦難に襲われる時、沈黙のあきらめをもってでは なく、また、ただつぶやかないというだけでなく、聖なる喜びと賛美の歌をもって、この苦しみを受け入れる信仰を持つことが出来ますよう に・・・。「・・・ 私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことに ついては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。という のは、わたしの力 は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りま しょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いか らです。」(第二 コ リント12:7-10)
「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。 途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。い つでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示 されるためです。」(第二コリント4:8―10)