魂の収穫

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2024年6月4日
ひとしずく841-魂の収穫

 昨年、近くの山でミズという山菜を沢山採ってくることがで きました。そのことを家族で話していまし た。
「そ ういえば、昨年、あのミズを採ったのは、ちょうど今頃じゃなかった?」
「そ うだ、今頃だったよ」
と いうことで、早速先日、母と息子と私の3人で山に行ってきました。

  母は山菜採りに関しては慣れたものですが、膝を悪くしてしまったので、去年とは違い無理はできません。お医者さんから、 無理したら動けなくなってしまうと言われたばかりです。でも、去年行った場所なら、ぎりぎり近くまで車で行けるの で良いだろうと、今年もたくさん採れることを期 待しなが ら、そこに向かいました。
 しかし、到着するや否や、その期待は無惨にも裏切られて しまいました。その付近は山の斜面から下の方 まで、ほとんどの木 が切り倒されて無くなっており、ブルドーザーの通った跡まで 残っていたのです。
 ミズは日の当たらない場所に育つ植物です。がっかりしながらも、わずかな期待を持って、その近くにある薮の中に入って み ましたが、ミズは、全く見当たりませんでした。
 「あー、残念」三人の思いはこの一言につきま した。
きっ と山の持ち主は木が大きくなったので、伐採することにしたのでしょう。当然あんな巨大な木々を伐採するには、山菜などに気を留めている余 裕はありません。
  私は、母と息子に「他のところに行こう」と車に乗ることを勧めたのですが、母親はその辺りにある他の山菜 をいくつか見つ け始めていまし た。そこで、私も車での移動をあきらめ、車の停めてあった場所から道伝 いに山菜を探して歩きました。するとそこに、ちょっとした薮があっ たので「もし や!」と思い、その藪に分け入ってみると、なんとミズがいくらか生えてい るのを見つけたのでした。そこをもう少し進んで行くと、さらに多 くのミズが、そし てもっと中に入ると、まるでミズ畑のようにずらっと並んで生えている所 を見つけたのです。
 ほとんどが、もう少し待たなければならない小さ なものでしたが、あるものは、背丈が高くなって、採れるものになっていま した。
 私はまるで宝石の山でも見つけたかのような感激をもって、母と息子を呼んだのでした。
「おー い、ここにあるよ。ミズがたくさん!」

 これは何か、暗示的であるように思えました。 魂の収穫の主である神様は、このことを通して、魂の収穫のことを私に教えようとされていたのではないかと 思ったのです。
時々、 世間や自分 のいる環境状況を見て、ああ、主の福音を聞こうと思う人は、ここにはいないのだ・・・。とがっかり思うことがあります。しかし、そんなふうに自分の判断 で、簡単にあきらめてしまうことがないようにという戒めのために、主は、こうした山菜採りを体験させたのかもしれません。つまり、今まで 目を留めていた状 態から目を離し、目を上げてよく見るなら、そこには刈り取りを待つばかりの魂の畑があるのだということを、主は私たちに教えたかったので はないかと思った のです。
私たちはどれだけ、状況や、人の表面的な態度を見て、証しするのをあきらめてしまうことが あることかと考えて いました。しかし実際は、思わぬ状況やまた見かけにも拘わらず、救いを待ち望んでいる魂がたくさんあるのではないかと思うのです。
ど うか、私たちが自分の勝手な判断で、主が手を差し伸べたいと思われている魂の前を素通りすることありませんように。
神様は収穫の主であられます。その主が示される刈り入れを待つばかりの収穫の畑を見い出せるよう、私たちの目が開かれますように。また、ま ず自分が使わされるべき働き人となることができるよう、主が特別な恵みと力を与えてくださいますように。
そしてさらに多くの忠実な働き人が与えられますように。

  「(イエスは)弟子たちに言われた、『収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り 出すよう にしてもらいなさい』」。(マタイ9:37,38)

「あ なたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさ い。はや色づいて刈入れを待ってい る。
 「刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがま き、ひとりが刈 る』ということわざが、ほんとうのこととなる。わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦し なかったものを刈りとらせ た。ほかの人々 が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかってい るのである」。(ヨハネ4:35-38)

<目を主から頂いた召しにとどめていたいですね。魂の収穫に。主が私の魂を救うために来られたように...>

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