命の泉の管理者

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2024年5月30日
ひとしずく832-命の泉の管理者

 私たちの人生には、いろいろな戦いがあります。そして時々、本当に戦わなければならない相手とは自分の中の思いであることがあります。
 私たちは、主から「自分を愛するようにあなたの隣人を愛するように」という戒めを頂いています。これは一見簡単な戒めのように思えますが、実は、いかに難しい戒めであるかは、自分の思いを知る人なら誰でもわかることでしょう。私たちはすぐに人を裁いたり、赦さなかったり、否定的に見てしまったり、また他の人の成功を喜ばなかったり、そういった悪の誘惑に駆られることがたくさんあるのではないでしょうか?
 そんな時に、自分の心の潮の流れを止めるには、さらにまた積極的肯定的な流れに逆流させるには、どうしたらよいのでしょう?

 主イエスは「私は、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し 合いなさい。」(ヨハネ13:34)と言われました。
 私たちは、悪魔の誘惑に負けて、周りの人に対する否定的な思考を心に迎え入れるべきではありませんし、ましてそうしたゴシップの仲間に入るべきではありません。そうしたことは、主の愛の戒めと反対のことであることは明らかです。相手を見下し、批判するのは、詩篇の一篇で言っている「あざける者の座に座る」ことであり、幸いな者とは「あざける者の座に座らない者」であると詩篇の第一篇一節には書かれています。

 悪い思いは、飲み水に毒が入るようなものです。毒物の入った水は、体に害をもたらします。同じように否定的で悪魔の息のかかった思いや言葉は、相手や自分の心を汚し、ある時は、死に至らせることもあります。

 主イエスはこう言われました。
「口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである。」(マタイ15:18-20)

また使徒ヤコブも次のように述べています。
「わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。
 わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。塩水も、甘い水を出すことはできない。あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれであるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活によって示すがよい。しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはなら ない。そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。」(ヤコブ3:9-18)

 まず心にそうした他の人を誹ったり、高ぶった思いをもって裁いたり、批判したり、赦さないといった思いがすでにあるなら、私たちはそれらの思いを捨てる必要があります。
 そして、そのような思いに駆られる誘惑がある時には、主に助けを求める必要があります。さらに助けを求めるだけではなく、自分自身を否定的なあざけりの道具として悪魔に使わせることはしないと、断固とした態度をとり、悪魔に対抗する必要があるのです。

「私は、お前に屈しないぞ!私は主から愛すること、また赦すことの戒めを頂いている。相手を否定的に思ったり、また裁いたりすることは、主の望んでいることではない。私は決してその悪の思いに一歩も譲らない!引き下がれ、サタンとサタンのもたらす否定的思考よ!」と。

 心から溢れることを口が語ります。(マタイ12:34)したがって、心を善きもので満たすなら善き言葉が溢れます。主の赦しの愛で、満たされ慰められているなら、慰めが溢れます。そして隣人に対する主の愛情深い見方で満たされるなら、相手に対する主の見方が自然と口をついて出てきます。イエスの再臨、至福千年、新しい天と地が私たちを待っていると将来への希望で溢れているなら、身の周りに起こる全てのことに対して、本当にポジティブな言葉が出てきます。いかに自分が多くの罪を赦されているかに気づく時、本当に相手に対する慈しみの心が与えられます。

 どうか、私たちがどんなに神の御恵みによって生かされているかに、目が開かれ、主が日ごとに、私たちを生かし慰め励ましてくださるように、私たちの口から出る言葉や態度も、他の人を生かす命の水となりますように。そしてその源である「命の泉」をしっかり守る管理者となれますように。

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(箴言)

「わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」(詩篇19:14)

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