すべてのことには時がある

ひとしずく812-すべてのことには時がある (2012年配信)

 すべてのことには時がある・・・

 私たちは一度に、全てのことはできません。やりたい事、しなくてはいけないこと、したらいいこと、それは数多くあって も、集中できるのは 一度に一つです。しかし、私たちをそのように造られたのは主です。したがって、多くのことができなくても、もし、主と共にあるなら、その 一つ一つを主は美 しいものにしてくださるのだと思います。

  今、秋田にいますが、こちらに来てから、いつも棚を造りたいと思っていました。私たちがこの家に引っ越してきてから、荷物がしっかりと収 まりきれておら ず、そのうちに親戚も来ることだし、母も私も、早く何とかしなければと思っていました。しかし、やろうと思うと雨だったり、忙しかったり で、それがなかな か果たせないでいました。

昨日は母の日ということで、母へのプレゼントにという気持ちをこめて、この機を逃さず、ようやく棚作りに着 手することになりました。母は私が何かを造っている時にはいつもそうなのですが、私のすぐそばにいて、釘やら板やらを取りに行ってくれま す。息子の助けもあって、二つの棚は、思ったよりスムーズに 出来上がりました。 昔、冬囲いに使っていたふるい材料を使っての作品なので、決して見栄えは良いものではありませんが、棚としての役目は十 分に果たせるものが出来上がりました。 いつもやってあげたいと思っていたことを、母の日に、しかも母が本当に必要だと思っていた時にすることができたのです。 主がそのように取りはからってくださったことを感じました。自分で何かをしていると思っていると、あれもできていない、 これもしてあげていない、何にもやれていないと下降線の落胆の罠にハマりやすいものです。 しかし、愛である主が、時間と力において限りのある私たちの弱さをよく理解していて、主は、私たちの小さな努力を最大限 に発揮できるようにと、良い舞台設定をなさって下さいます。

私 にはまだまだ、あれもやりたい、これもやらなければというものがたくさんあります。歯の治療もその一つです。これも、時間のタイミングが うまくいかないた めに、歯医者に行くのが延ばし延ばしになっています。しかし、いつまでも延ばしてばかりいることはできません。忙しい仕事をわきに置い て、治療し、回復 し、再生するために、時間と関心を注がなければならない時というものがあります。

これは家族やその他の人間関係にも言えることかと思います。

忙しい現代の社会では、最も貴重なものである、愛のための時間がつい犠牲になってしまう傾向にあると思います。し かし、費やす時間が少ないからこそ、その時間を大切にしなければならないと思っています。そしてその必死な思いに主は答えてくれると信じてい ます。 私達は、自分の身体の世話にしろ、また愛する人とのコミュニケーションにしろ、もし気にかかって いることがあるのなら、そうした時こそ、主が奇跡を行われるチャンスだと思うのです。

主よ、あなたは私達の心の願いをご存知であり、最善のタイミングと方法で、修復や深い理解が必要な関係を、 癒すことのできる方です。私達の肉体は、時間の枠の中におりますが、私達は、あなたを通して、時間と空間の制限を超越できます。かえっ て、制限の中にあるからこそ、あなたの奇跡の業が輝きます。どうか、何でも、時にかなって美しい業をなされるあなたに信頼していることが できますように。 「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のな されるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(伝道3:1,11)

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