ひとしずく1559-義に飢え渇く者 (2014年配信)
最近、Dさんに十何年かぶりに再会しました。今、彼は単身赴任 で、福島の相馬で働いています。以前、私たちの聖書クラスに来ていましたが、彼が九州に引っ越しして以来、会う機会はありませんでした。 しかし、彼が東北に来て、先月から月に 一回、私が那須にいる時に、聖書を一緒に学ぶために、彼は公休日前の日に一泊の泊りがけで相馬から那須にやってきます。仕事が終わってか ら車で来るので、那須に到着するのが夜の9時 くらいになります。私は彼のギリシャ語で聖書を学びたいという熱心につられて、先回から、彼と一緒にギリシャ語を学び始めました。そして、月に 一度の聖書クラスではとても物足りないようで、相馬に近い所に、他に私の仲間の宣教師はいないかと尋ねてきました。それで、私は仙台にい る友人を紹介した のですが、彼はさっそく、仕事が終わってからその仙台の友人を尋ね、良い時間を過ごすことができたとのことです。
彼の聖書への熱心さには、本当に感心させられます。
また、私たちは秋田で、朝6時から聖書の勉強会をしたのですが、最近私 たちの近くに引っ越してきたOさんも子供たちを連れて参加しました。彼らの聖書を学ぶ意欲にも心動かされます。子供たちは学校に行く前 に、早起きをしてやってくるのです。
このことで思い出すのは、ソロモン王の知恵を聞くためにはるばるやってきたシバの女王の 話です。イエス様は、人々が、もっと飢え渇きをもって熱心に御自分を求めるべきことを語られた時、このシバの女王のことを話しました。
「南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。な ぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。」(マタ イ12:42)
ソロモンにまさる者とは、もちろん神の御子イエス様のことです。
私たちは、真理と救いと愛と知恵を豊かに下さるイエス様を熱心に求めて、神にふさわしい尊敬と聞く態度を持っているべきである と思います。しかし、信仰生活はマンネリ化し、いつしか神に対する熱心さを失ってしまい、神ならぬ、この世のものに惹かれてさまよってし まう人もいます。聖書を必死に学びたいという、彼らのような人を見て、私はとても励まされました。そして自分自身、イエス様を初めて知っ た時の、あの初めの愛を大切にしなければと、思うのです。
どうか、知恵と知識との宝のいっさいが隠されているキリスト(コロサイ2:3)とその御言葉を日々、熱心に求めて生きることができますように。
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わ たしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。」(エレミヤ15:16)
「(主は)飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいま す。」(ルカ1:53)
「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろ う。」(マタイ5:6)
「わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。・・・あ なたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てること がなかった。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてし まったそこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初 めのわざを行いなさい。」(黙示録2:2―5)