ひとしずく1554-聖 書に書かれている農業
先日、創世記を読んでいて、一つ発見がありました。それは、人はエデンの園に置かれた時、神様から園を耕すようにと言わ れていたことで す。私はずっと、畑を耕すことは、アダムとイブが罪を犯して、エデンの園から出されてから神様から課せられた仕事だと思っていました。しかし創世記2章に は次のように書いてあります。
「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。」 (創世記2:15)
ということは、園を耕すことは、エデンの園での最初の神様からの任務の一つであったということです。これは、私にはとて も意味深いことに思えました。人間がもともとすべきであった仕事がエデンの園にあって耕すということであれば、その仕事はとても敬神的な 仕事となりうるだろうと思います。もちろん、心が正しくなければ、カインのように、畑を耕しても、神様にその捧げものを受け入れてもらえ ない場合もありますが。
しかし、耕すということが、神様が最初の人に与えた仕事であるなら、そのご計画には神様の深い知恵と思いやりが込められ ていただろうと思うのです。
以前にも述べたことのある、北海道のEさんは、人は何らかの形 で、わずかでも、農業に関わっているべきだと思う、というようなことを話してくださいました。
農作物を育てる仕事というのは、とても神様に依存する部分が多いので、私たちを神様に近づけてくれるものだと思います。 私たちは、どんなに頑張っても、種を発芽させ、植物を大きく成長させることは一夜では、できません。私たちは、自分のできるわずかなこと をした後は、神様が降らせてくださる雨、照ら してくれる太陽に依存しなければなりません。自分のできる分をしたなら、神様に大方を任せ、神様に働いてもらう必要があるのです。
現在の多くの仕事は、必要とあれば徹夜して仕上げるとか、自分の腕にたよって早く仕上げるとかすることができますが、植 物を成長させるとなるとちょっと別の話となってきます。
慌てても作物は育ちません。それと同じように、神様は私たちの魂や信仰が成長するのを、忍耐して待ってくださっていま す。神様は私たちを急かして、早くしろ!とは言わないのです。
尊い教訓を畑仕事から学べるように思えます。そして命に満ちた土に触れていることによって、私たちの内にも命が豊かにな ることを感じます。
ですから機会があるなら、是非、わずかでも土に触れ、作物を育てることを体験してみてください。神様の祝福がありますように。
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