ひとしずく1553-主 よ、いつまでですか?
世の中が乱れる時、神を知る民は、いつ介入してくださるのかと神に叫び求めたくなります。 救いの神であり、裁き主であられる神がおられるなら、すぐにでもこの邪悪な世界に介入して、物事を正してほしいと。
主が雲に乗って再臨されること、そして、それから始まる至福千年は、私たちにとってとても 待ち遠しいことです。特に悪いニュースがこれだけ続く と、主よ、早く戻って来てください、と、もう待ち切れないほどです。これほど邪悪な時代が今まであったであろうか、と思ってしまいます が、幾千年も前に も、主の預言者たち、弟子たち、また殉教した霊たちでさえもが、今の私たちと同じように、主に叫び求めていました。
「主よ、悪しき者はいつまで、悪しき者はいつまで勝ち誇るでしょうか。」(詩篇94:3)
「主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。わたしはあ なたに『暴虐がある』と訴えたが、あなたは助けて下さらないのか。」 (ハバクク1:2)
「彼らは大声で叫んで言った、『聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことを なさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか』。(黙示録6:10)
時間の制限枠の中に生きている者たちにとって、主の永遠の御計画を理解することは確かに容 易ではありませんし、いつ主の約束が成就するのかと待 ち遠しい気持ちになるのも無理ないことだと思います。そして、その成就を見ないで多くの人たちが他界しました。私たちも、何年も前から、 主の再臨は近いと 思っていましたが、なかなかその時が訪れないので、本当にこの世は終わりの時を迎え、イエス様は再臨されるのだろうかと、つい、つぶやいてみたりするので す。
しかし、そんな時、聖書に数多くある預言のほとんどがすでに成就されていることを思うので す。特に、神であるイエス様が二千年前に、人間となってこの地上に来てくださったことの預言の成就を。
神様は、地上の処女を通して産まれてくる男の子によって、救いを地上にもたらすことを約束 されました。
「主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を 産む。その名はインマヌエルととなえられる。」(イザヤ7:14)
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。ま つりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。」(イザヤ9:6)
そして、この預言通りに、処女であったマリアが、神の子イエスを宿し、産んだのでした。聖 書にはこの成就が次のように記されています。
「六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいな づけになっていて、名をマリヤといった。御使がマリヤのところにきて言った、『恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます』。この言葉にマリ ヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。すると御使が言った、『恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをい ただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえら れるでしょう。そして、主なる 神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう。そこでマリヤは御使に言った、『どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに』。御使が答えて言った、『聖霊があなたに臨み、 いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。』。・・・彼らがベツレヘムに滞 在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。」(ルカ1: 26―35、2:6,7)
聖書には、救世主であられるイエス様に関する預言とその成就が、他にもまだまだたくさんあ ります。これらの神の言葉が如何に成就されたかという ことを知ると、全く驚かされてしまいますが、こうした預言とその成就を知るなら、将来においての神様の約束の真実を確信するのではないで しょうか。再びイ エス様が私たちの所にやって来られ、この混乱した世界を新しくされ、秩序と平和をもたらしてくださるという約束を。
「彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方 からその選民を呼び集めるであろう。」(マタイ24:31)
「彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(それ以外の死人は、千年の期 間 が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対して は、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。」(黙示録20:4b-6)
イエス様が再臨されるその日まで、私たちは神様から頂いている任務を果たすために全力を尽 くしましょう。
弟子たちが、イエス様が再臨され、この世を支配してくださるのはいつなのかとイエス様に尋 ねた時、イエス様は次のように答えられました。
「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、『主よ、イスラエルのため に 国を復興なさるのは、この時なのですか』。彼らに言われた、『時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りで はない。ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたし の証人となるであ ろう』」(使徒1:6-8)
主は、主の再臨を今か今かと待ち望んでいる私たちに、その約束は真実であることを思い起こ させ、当時の弟子たちに言われたように、思い煩ったり 心配するのではなく、今、あなたたちのすべきこと、つまり主の証し人となるために互いに愛し合い励まし合いなさい、と言っておられるので す。忍耐と信仰と をもって、自分たちに与えられた使命に懸命に生きられるよう、主が助けてくださいますように。
「また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動く ことなくしっかりと持ち続け、愛と善行とを励むように 互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうし ようではない か。」(ヘブル10:23-25)