かわく

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2024年4月29日

ひとしずく1527-かわく

 インターネットやテレビを見続けて、憂鬱な気分になったり、楽しそうなテレビ番組なの に、見た後、心が虚しく感じたりすることはないでしょうか。また、助けを必要としている人を熱心に助けることに忙しくしていて、ふと気づ いた時に自分の心の中に虚しい風が吹いていたり・・・。なぜこのようになるのでしょう?
  複雑な社会で生きていくには、あらゆる情報に長けている必要があると思えるし、ストレ スの多い社会の中で全てを忘れてゲームや娯楽番組もたまには良いでしょう。また他の人たちとの係わりも尊いことです。しかし、それらのい ずれも、与えてくれる満足感は一時的なものです。情報はすたれ、娯楽の飽き、人との関係にも変化が来ます。それで、人は、またその魂の渇 きを満たしてくれる新しいもの、また次のものを求め、それを得るためには、お金を払い、犠牲を払います。しかし、本当に魂の渇きを満たし てくれる本物を見つけられないでいます。答えはどこに?

 イエス様は、その答えをある女性に明かされました。

 一人の女性に、ご自身が救い主であられることを伝えるために、 わざわざ遠い道のりを歩かれ、サマリヤというユダヤ人が普通だったら避けて通る場所に行かれました。その女性は、井戸から水を汲もうとし ているところでした。

「イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、ま たかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉 となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。(ヨハネ4:13,14)

 この主との交わりこそ、渇きを癒す秘訣です。魂に渇きを覚えて いるなら、渇くことのない、命の水を受けるためにイエス様のところに来てください。 

「祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたし のところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。これは、 イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。」(ヨハネ7:37-39)


 「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した 言葉は霊であり、また命である。」(ヨハネ6:63)

 「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶ どうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことがで きないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、また わたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれを かき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。あなたがたが わたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望む ものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」(ヨハ ネ15:3-7)

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