ひとしずく1513― 今日一日のための恵み
今日、デボーションで読んだC.S.ルイスの言葉がとても心に響 きました。
「The great thing with unhappy times is to take them bit by bit, hour byhour, like an illness. It is seldom the present, the exact present, thatis unbearable.」
(訳:つらい時には、病気の時そうするように、その時その時の小さな問題に向き合っていったらいい。たった今、この時が耐 えられないということは 滅多にないものだ。)
ちょうど、もう一つ読んだ記事の中に、この言葉に関連する話が ありました。あるアメリカ人のクリスチャンが、アフリカの13歳と14歳の男の子を養子にして育てるという話です。
誰も引き取り手のない孤児である彼らを、神様は彼女に、引き取って自分の子供として育てるように告げられたそうです。彼 女にはすでに小さな女の子達が三人いたのですが、彼女の夫も賛成してくれ、彼らは神様が言われた通りに、二人の男の子を引き取り、自分の 子供として育てることにしたのでし た。しかし、その子育ては大変なものでした。男の子達の学科のレベルは幼稚園のレベルでしたので、彼女が彼らをホームスクールする必要が ありました。彼女 は毎日、自分には出来ないと、主に助けを泣き求めたそうです。そんな彼女に、主は一日ごとに恵みとやり続ける力を与えられました。そしてその二年後、彼ら は高校でやっていけるレベルにまで達し、学校で特別な賞を受け取るまでになったので す。ついに彼らは、高校を見事に、良い成績で卒業することになりました。その体験談を書いた彼女の著書はベストセラーになり、彼女の証しは、町の人々に影 響を与え、今では43人のアフリカの孤児をその町の心ある人たちが養子にしているということです。
話全体から数多くの教訓を引き出せるものでしたが、特に私は、この女性が毎日少しづつ彼女のできることをし続けたという ところに感銘しま した。13歳、14歳で幼稚園のレベルというのですから、これからどうやって勉強を教えらよいのか、高校という目標を見たら気が遠くなるほどではなかった かと思います。しかし、彼女は主の励ましに支えられて、あきらめないで少しづつ前進したのです。その結果は素晴らしいものでした。
今朝のデボーションで得る事のできた、この「あきらめないで少しづつ」というインスピレーションは、今日の作業をする私 たちにとって、とても大きな助けとなりました。
今日は息子と一緒に山のように積まれた廃材を、借りた軽トラを使って薪ボイラーの近くまで 運ばねばなりませんでした(昨日は長い廃材の多くを運ぶことができましたが、まだたくさんの廃材が積まれて残っています)。
薪ボイラーの燃料がたくさん与えられたことは感謝でしたが、圧倒されるほどの量です。しか し、とにかく、少しづつやればいいんだ、取り組んだら神の恵みが与えられると、自分自身にも言い聞かせながら、取り込んだのでした。息子 もきっと、その山を初め見た時は大変な仕事になると思ったと思いますが、やり始めてから、「やれるね」と言葉をもらしました。仕事の要領 をつかんだようで、見通しがついた感じでした。
結局、一日では終わらせることはできませんでしたが、とにかく、仕事の山に飛び込んで取り 組むことができたことは勝利 だったと思います。
大変だ無理だ、と言って絶望的に座り込んだところで、その仕事はやり遂げる事はできませ ん。しかし、主の意志に従って、ヨルダン川に付き従ったら川が、イスラエルの民のために二つに分かれたように、従う時、主の恵みと奇跡が 現れます。
「こうして民はヨルダンを渡ろうとして天幕をいで立ち、祭司たちは契約の箱をかき、民に先立って行ったが、箱 をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、――ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、 ――上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の 海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。」(ヨシュア3:14-16)
「ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」(第二コリント12:9)
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6:34)