ひとしずく1516-今日のローマ8:28

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2024年4月16日

ひとしずく1516-今日のローマ8:28

 「バーン!」しまった!
 母を病院に連れていった帰り、二人で食堂に入り、それから車に乗り込む時でした。母が車に乗ろうとしてドアを開けたとた ん、強い風が吹いて、ドアは彼女の手から離れて、隣りの車のボディに当たってしまったのでした。私が母のためにドアの開け閉めをすべきで したが、うかつでした。隣りの車の運転席に坐っていた女性が、すぐ今の音が気になったようで、車から降りてきてボディを調べ始めていま す。何やら、白い跡が相手の車のボディのちょうどドアのぶつかったあたりについています。私はすぐに車から降りて、その人のところに行っ て謝りました。幸い、へこんだ様子はありません。こちらのドアのペイントが、相手の車のボディにこすりついてしまったようです。指でこす ると、そのペンキも取れてしまいました。私はほっとしましたが、安堵するにはまだ早すぎました。相手の女性は、旦那さんに見てもらわない と、そのボディが 本当に大丈夫かどうかわからないということでした。それで私は謝りながら、何かあったら連絡してくれるよう自分の連絡先を教え、その人と 別れました。

後で私は、以前車をぶつけた時のことを思い出していました。一つは、私の友人が相手の車の バンパーにぶつけてしまった時のことです。肉眼ではほとんど見分けのつかないほどでしたが、意外なほど弁償を払わなければなりませんでし た。またもう一つは、私が車を止めようとして、パーキングライトがどこかと探している間に、コツンと前に止っていた車にぶつけてしまった 時の事で、この時も傷らしい傷が見えませんでしたが、やはり意外なほどの賠償を払わなければなりませんでした。それで、母が「何もへこま なかったから良かった。弁償はしなくて済むんだろう?」と尋ねた時、「いや・・・そうではないかもしれない」と答えなければなりませんで した。そして以前そのような体験をしたことを母に説明し、もしかしたらお金を支払わなければならないと言いました。彼女は、そんなことが 実際私の身に起ったことがあること自体、びっくりしていたようでしたが、相手の車をこすってしまうということは大変なことになりうるとわ かったようでした。

しかし主は全てローマ8:28にし てくださると思い心の中で祈っていました。

主が相手の心に触れてくださり、必要以上に私たちが支払わなくて済むように。それから車の 中で、母と私で、償いや赦しについて話すことができました。母は今、聖書の話になると耳を背ける状態ですが、今日は、いいきっかけができ て、私は話す機会を持てました。不当に責めたり、不正を行う人によってひどい目に遭う事について、私の見解を話す機会が持てました。神様 がそれらの人たちを対処されるから心配ないこと、ただそのような不正や詐欺まがい のことをする人たちはかわいそうに思えるとも。

また、この事とは関係ないのですが、この事件が起こる前に、母が昨夜見たという夢について も話すことができまし た。その夢というのは、母が自分ばかり美味しいものを食べていて、父にはお供えを十分にしていないから、父親が怒っていたというものでした。わたしはそれ は、単なる夢だと一笑しましたが、彼女はそのようなことを気にします。

 わたしは、「つまりお母さんは、祟り(たたり)を信じているということだね。」と始め て、どうして私たちにとって十字架につけられたイエス様が大切なのかを話すことができました。

「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない 出して下さった。聖書に、『木にかけられる者は、すべてのろわれる』と書いてある」(ガラテヤ3:13)

私は、主イエス様が、私たちのために全ての呪いを身に受けてくださった話をしました。私た ちは、主イエスの犠牲のゆえに、自分自身に対する咎めからも、また人の呪いからも解放されているということも。

最近、母に聖書の話をする機会がなかったので、このような機会が与えられたことを感謝しま した。

ところで、しばらくすると、相手の女性から電話がかかってきました。その人は、問題がない ようだったら電話しませんから、と言っていたので、電話をかけてきたということは、何か問題があったのか、と覚悟しました。

 彼女の話はこうでした
「電話しないでおこうと思っていましたが、ご心配をおかけすると思いましたので、お伝え したかったのです。夫にも見てもらいましたが、何も傷ついていないということで、心配はいりませんから。お母様にも、よろしくお伝え下さい。ごめんなさ い。私の態度が、とても気にしているように見えたと思うので、心配をおかけしてしまいました」

 よかったー!主よ、感謝します!やはり主は、この災難と見える出来事を、ローマ8:28に してくださいました。主は、私が母に、車の中で証しできるように、その話の種を与えてくださったのです。そしてこの相手の女性にも、さら に証しをする機会を与えてくださったのだと思います。どうか主が引続き導いてくださるよう、お祈りしていてください。感謝します。

「神を愛する人々、すなわち、 神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(新改訳改訂 第3版ローマ8:28)

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