ひとしずく1510-陰 謀に満ちた世にあって

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2024年4月15日

ひとしずく1510-陰 謀に満ちた世にあって

 最近、インターネットでは、テレビや新聞では報道されない、色々な陰謀説が載せられています。それは普通の人なら全く信 じられないようなひどい陰謀です。しかし、それらはデマだと言う人もいます。本当か嘘か、あるいは真実を誇張して言っているのか…いったい何が真実なのかと考えさせられます。秘密保護法案という言葉もあるのですか ら、 この世界にはたくさんの秘密が存在しているのは確かなことでしょう。聖書にも「不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止してい る者が取り除かれる時までのことである。」(第二テサロニケ2:7)と書かれてい ますから、私たちの知らないところでなされる秘密の事柄ということがあるわけです。

ところで、私たちは不正と思えること、また陰謀と思えることに対して、かなり敏感になって しまっているところがあると思います。私もそうです。しかし、悪に対してあまりにも過剰に反応してばかりいると、自分自身が悪しき霊にか なり影響されてしまう可能性があります。ニュースを見る時も同じです。現代は、毎日報道されるほとんどの ニュースは悲しく、ひどいニュースばかりですが、それをどう受け取るかに気をつける必要があります。

 最近読んだ本の中に、はっと気づかされた言葉がありました。「鈴木正久著作集第一巻」四 一〇頁の言葉です。

 「へどを吐きたい気分だ!」・・・これはしばしば天使が悪魔に出会った時感ずる気分であるかのように思い違いされてい る。間違ってはいけない。そうではないのだ。天使が悪魔とすれちがう時は、天使は悲しいのだ。「へどを吐きたく」なるのは悪魔が悪魔とす れちがう時、互いに感ずる気分なのだ。

 私たちは、何か悪事をあるいは陰謀を企んでいる者に対して、そして悲惨な事件のニュースを聞いた時なども、あまりものひ どさに、へどを吐きたい気分になることがあるのではないでしょうか。それはその不正の背後に働く悪霊に対する感覚なのかもしれませんが、 悪魔は現在では、その悪の王国をかなり確立したので、時々秘密が暴露されても、かえって、その悪の勢力、混乱、絶望的な状態を見せつけて 人の心を損なおうとしているのではないかと思います。

「主は悪を憎む者を愛」(詩篇97:10) されます。ですが、悪や不正に対して警告を与えるとしても、私たちはユダの手紙の9節にあるミカエルの態度を忘れてはならないのだと思い ます。

「御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさば くことはあえてせず、ただ、『主がおまえを戒めて下さるように』と言っただけであった。」(ユダ1:9)

さばきは主がなさいます。「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任 せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである。」(ローマ12:19)

私たちが、周りに起る悪のように思えることに自分の焦点を合せるのではなく、主に思いを留 めることができるように、霊の力を集中する必要があると思います。主にとっては、「やみも暗くはなく、夜も昼のように輝」くと聖書に記さ れています(詩篇139:12)。また、「主はすべての物をおのおのその用のため に造り、悪しき人をも災の日のために造られた。」(箴言16:4)ともあります。 主はやみのためにもご計画をお持ちです。私たちは、自分の限られた視野、肉の思いによって制限されていますが、闇のように思える力に取り 囲まれている時こそ、万物の創造者、計画者であり、全知全能の神様の見解と助けを求める必要があると思います。

最近、ニュースを見ていて、ますます終わりの時には「不法がはびこるので、多くの人の愛が ひえる」(マタイ24:12)という言葉が成就しつつあるように思え、どうやって 主を信じる人たちが聖く、世の悪と誘惑に負けないで、主の来られるまでやり続けることができるのだろうかという思いにかられたことがあり ました。

そんな時、主は次の言葉を思い起こさせてくださいました。

「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。」 (ルカ12:32)

私たちが御国を求めている小さな群れであるなら、心配はいりません。父なる神がそれを与え て下さると約束しておられるのですから。そして恐れてはならないとイエス様が言っておられるのです。私たちがはかないこの地上の富や名声 にしがみついているなら、それは確かに試練でしょう。しかし、名声や富を持っていようが、持っていまいが、それらのものに望みを置くので はなく、神に望みをおくべきなのです。それら地上のものが手元にまだあるなら、感謝すべきで、神の国のために有効に用いられるなら、良い 投資にさえなります。しかし、私たちの魂のよりどころ、頼みが、それらの持ち物であったり、お金であったり、地位や人の評判であるべきで はないのです。私たちの愛の対象は持ち物であるべきではないのです。

「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰 から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」(第一テモテ6:10)

「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、『わたしは、 決してあなたを離れず、あなたを捨てない』と言われた。だから、わたしたちは、はばからずに言おう、『主はわたしの助け主である。わたし には恐れはない。人は、わたしに何ができようか』」。(ヘブル13:5,6)

砂の城を海の波から守るようなことかもしれませんが、私たちの求めているものが、主の言わ れた「神の国(御国)」であるなら、それは確実に得ることになります。それは神の約束だからです。

「神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。」(ローマ14:17) 

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救う であろう。人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」(ルカ9:24,25)

 「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。彼らはや がて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。主によっ て喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。あなたの道を主にゆだねよ。主に 信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者の ゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。怒りをやめ、憤りを捨てよ。心 を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。悪を行う者は断ち 滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あ なたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。」(詩篇37:1-11)

「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」(第一ヨハ ネ2:17)

 *さらに、37篇全文も読んでみてください。

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