ひとしずく756–外から見える真実
人はその中にいると見えず、外からだと見えるという場合が良くあると思います。
たとえば、深い森の中にいると自分の居場所がさっぱりわからなくなり、迷ってしまいます。しかし、それを空から見たらよくわかるでしょう。
また日本人として日本に生まれ育つと、日本をよく知っていると思っていますが、意外と知っていないものです。日本では当たり前の常識が、他国では称賛されるようなものであったり、他国の社会では通用しないものであったりといったことがありますが、それに気づくのも、やはり外から見た時ではないでしょうか?つまり日本から出て、外国に行ったり、外人と接したりして初めて、日本というものが見えてくるように思います。
また、これに関連して、私の友人がかつて教えてくれた、不思議な体験の話を思い出します。
友人が、草の上で横になってひなたぼっこをしていた時のこと、ふと気づくと、自分が、自分の体から離脱して、その体を上から眺めていたということでした。彼は、すぐにまた自分の体の中に戻ることができたそうですが、とても驚いて慌ててしまったということでした。
これは幽体離脱というものですが、病気や事故で亡くなった時や、生死をさまよっている時に体験する臨死体験と似ています。手術中に、自分の体から抜け出て、手術室の上から、お医者さんたちが死んだ自分を甦生させようとしている所を見ていたと証言する人の話を聞いたことがあります。もしその人が自分の体に戻らなければ、それが「死ぬ」ということなのでしょう。彼らのそのような体験により、人は肉体そのものではないということがわかります。つまり、本当の自分というのは、この肉体という衣に身を包んでいるという存在なのです。したがって心臓が止まり、この肉体が滅びても、自分自身は滅びず存在しているということなのです。これもまた、外に出ることによって知ることのできることの一つです。
そして、自分が置かれている状況というと、この世界(この世)があります。
私たちはこの世でいくつもの問題を抱え、この世のことをよく知っているという立場で、その解決策を考え、答えを見出そうとしていますが、実は、この世のことも、ここから抜け出たところから見て初めてわかるものなのだと思います。
この世の外とはどこでしょう?それは霊の世界です。この世はやがて過ぎ去るはかないものです。霊の世界こそ、確かで堅固な現実であり、そこから見て初めて、この世での問題の本質が見え、その解決策や答えが見えるのだと思います。そして人の夢と書いて儚(はかな)いと読みますが、この儚い世で、確かなものとは、神の御旨を行うことだけなのです。
「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行うものは、永遠にながらえる。」(第一ヨハネ2:17)