地の塩、世の光としての使命

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2024年3月15日

ひとしずく355-地の塩、世の光としての使命 (2014年)

最近の新聞に、「日本はなぜ静か?」という見出しの記事が載っていました。そ
れは色々な国々では、国民が不正な圧制者に対して意見を発し、それを 政府に
理解 してもらうためにはデモ行進までして、主張を訴えるが、日本にはそのよ
うな気風はあまり見られない。ということでした。そして、自分の思想を発 表
する言論の自由は当然の権利であるはずなのに、それも暗黙の内に抑圧されてい
るところがある、ということも指摘していました。

私は数年前、PKO派遣の反対デモに参加したことを思い出しました。今までした
こともないような、海外に自衛隊を派遣するということですから、 「異議あ
り!」という国民が大勢いて当たり前のはずなのですが、新聞の記事にあったよ
うに、デモに参加した人はやはり少なかったのを覚えていま す。
と ころで私はそこに来ていた人に「あなたは平和を求めますか?」いうトラク
トを配っていました。するとある人が、そこにいた20-30人のグループの人
たち を指して「そいつら私服警官だよ!」と教えてくれました。すると、そう
言われた人が「だからって、かまわないだろう!」と言い返して「一枚くれ 」
と言って私からトラクトを受け取りました。それには、私の住所と名前が書かれ
ていたので、やはりこういったものは記録を取られるんだろうなと 思って、少
し不安になったものです。平和を訴えるデモ行進であったにも拘わらず、私は何
か自分たちが悪いことでもしているかのように感じさせられました。お上の者に
反対して意 見するということが何かいけないことであるかのように思うのも、
日本人ならではの考え方なのかも知れません。

また新聞の話になりますが、同じ紙面の下のところに「KY(空気を読めな
い)」という流行りの言葉についてこう書かれていました。「とりあえず 目立
たないように無難にやり過ごして、時代の空気に流されているのなら、空気を読
むことにはならない。昭和の言葉でいうと日和見とか風見鶏といっ たものに近
い。」と。

確かに私たち日本人には、出る杭は打たれる的恐怖感があり、面倒なことに巻き
込まれないように、目立たず無難にやり過ごそうとする、生き残り術 ともいえ
るも のが心に沁みついているのかも知れません。それが自分の意見を主張する
ことや自分らしく生きることを妨げてしまっているのでしょう。しかし、自 分
を守るためとは言え、「長いものには巻かれろ」「見ざる聞かざる言わざる」と
いった態度で、間違った方向に進もうとしている社会までをも容認し て、それ
を次の世代に受け継がせてしまうことを考えると、やはりそれでいいのかと考え
させられます。それではかえって、自分を守ろうとしているつもりが、自分や愛
する人たち をも、世界と共に滅ぼしてしまうことになりかねないのではないで
しょうか?
聖書は、私たちは「地の塩、世の光」だと言っています。塩や光が、その役割を
果たさないなら、それはもはや何の意味も成しません。
人を恐れるあまり、主の示される道を見失うことがないように、「地の塩、世の
光」としての使命を勇敢に果たせるよう、主が助けて下さいますよう に。

「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」(箴言
29:25)

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってそ
の味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨 てられ
て、人々にふみつけられるだけである。」(マタイ5:13)

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