多く赦された者は多く愛する

多く赦された者は多く愛する (2013年2月 ひとし ずく1095)

「すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。ところが、群衆のために近寄ることができないので、イ エスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。
 イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、 心の中で論じた、「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。イ エスは、彼ら が内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。中風の者に、あなたの 罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもって いることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を 取りあげて家に帰れ」と言われた。」(マルコ2:3-11)

 この中風の男性は、つらい人生を送っていたと思われます。彼の家族か友人かはわかりませんが、屋根をはぎ、穴を開けて上からつり下ろしてま で、彼が癒されることを求めていたのは、そんな彼の辛さを知っていたからではないでしょうか。

しかし主は、この男性の中風を癒される前に、まず、罪が赦されたことを告げられまし た。彼らが求めていたのは中風の癒しでしたが、主がまず最初に下さったのは赦しだったのです。

赦されるというのは、神様と私たちとの関係の回復を意味していて、私たちが第一に求 めようとする、癒しや必要物の供給といったこと以上に大切なものだということを、イエス様は教えられたかったのかもしれません。

赦されるというのは、不思議な愛の体験だと思います。そして、自分の罪深さを知って いる者にとっては、他の何にも増して、神の恵みが一番感じられる体験ではないでしょうか。その恵みは、そのような待遇にふさわしくない者に与 えられる深い愛だと思うのです。

 イエス様だけが人の罪を赦す権威をもっていました。その権威をもっているのは神様とそれを託された御子イエス様だけです。もし、誰かが 「あなたの罪は赦された」と宣言するなら、それはまさしく神への冒涜です。イエス様が神の御子でないのなら、「人間の分際で、しかも大工の子で祭司でも律 法学者でもない者が、赦すなどと、よくもそんな言葉が言えたものだ…神への冒涜にもほどがある!」と憤慨した宗教家達の言い分ももっとも だと思います。しかし、イエス様は神様からその権威を与えられた方であったのです。
 イエス様は彼らの心の中を見ぬいて言われました。

「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。中風の者に、あなたの罪 はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。」(マルコ2:8,9)


  罪の赦しには、命という代価がかかることを律法学者らは知っていました。旧約の時代は、罪のつぐないとして、生きた動物、つまりその命がいけにえとされて いました。そしてイエス様は、御自分の命を、この中風の人や全ての人の罪の身代わりの代価(いけにえ)として、捨てようとされていたのです。 「罪はゆるされた」と宣言したイエス様は、御自分がこれからしようとしておられることを知っていました。そして、御自分が神様から使わされ、 赦す権威が与えられていることを人々に示すために、癒しを求めてくる者を癒し、その力と権威とをあらわされたのです。

神は、人の罪を赦しておられることを示されるために、仲介人として、御子であるイエ ス様を地上に送られました。赦しなど自分には必要ない、と言える人はこの世に一人もいません。

聖書にはこうあります。


「自分には罪はないと言うならその人は偽りを言うのであって、真理はその人の内にはない」(第一ヨハネ1:10)


 イエス様が、御自分の命という犠牲を払って差し出された赦しのギフト・・・それを「いえ、私は結構です。私には何の罪もありませんから。必 要ありません。」と言うことほど、イエス様の心を痛め、引き裂くことはないでしょう。
 正直に自分の心を見るなら、その罪の数の多さ、深さに、神の前でとても顔をあげられる人などいないと思います。
 しかし、そんな罪に打ちひしがれた私たちに、イエス様は優しくこう言われるのです。

「わた しは正しい者を招くためにではなく、罪人を招くために来たのだ。」(マルコ2:17)

そして、「多く赦された者は、多く愛するのだ」(ルカ7:47)と、罪赦された者と しての生き方を示されたのです。

 

赦されたこと、赦されることがどんなに素晴らしい神様からの恵みであるかを今一度よ く考え、自分が赦されたように、他の人を快く赦し、さらに多く愛する者となって、神の栄光をあらわして生きて行きたいものです。

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