勝利の背後に

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2024年2月19日

勝利の背後に (2013年2月 ひとし ずく1092)

 また今月も秋田から東京に行く日がやってきました。今回は夜行高速バスで東京に向かうことに決めていました。しかし、高速バス乗り場までは 電車で行かなくてならないのですが、駅に行くと、何と大雪のために運休になったとのこと・・・。何しろ、その日は雪かきをしているそばから、 どんどん雪が降り積もり、一日に三度も雪かきをしなければならない状態なので、電車が運休になっても不思議ではないことでした。

電車が運休となっては、高速バス乗り場に向かうこともできません。とりあえず私は駅 から家に戻りました。そして、もしかしたらその日、東京に向かうことは主の御心ではない可能性もあったので、妻と一緒にどうしたら良いのか主 に祈って尋ねることにしたのでした。すると主は、やはりその日のうちに、車で出発するように示されたのです。

こんな吹雪の中・・・と、正直言ってためらいの気持ちがありましたが、主がそう示さ れたのならやはりそうすることが正しいので、私は夕食を済ませてから、息子に手伝ってもらい荷物を車に積み込もうとしました。しかし、車はド アが凍ってしまい鍵を入れても開かないのです。そこでお湯を鍵穴にかけたりしたのですが、それでも開きませんでした。何度も家と車との間を行 き来し、お湯をかけ続けました。それを見ていた一番下の娘が、「今日行くのは、御心じゃないんじゃないの?」とポツリつぶやきました。何しろ ひどい吹雪だったので、私を気遣っての言葉だったと思います。そして、もしかしたら家族の誰もがこの娘と同じことを感じていたのかもしれませ ん。いえ、私でさえもそんな思いがちらついていました。しかし・・・やはり主は、行くようにと示されたことだし、翌日の聖書クラスに来られる 人たちの顔も思い浮かんでいたので、 そんな思いを払い除けて、お湯をかけ続け、やっとのことでドアが開いてくれたのでした。もうすでに夜の8時を回っていたでしょうか。
 そして、ついに出発できたのは良かったのですが、吹雪が凄くて、視界がきかず、高速道路に入ってからは、何度もパーキングエリアで車を止め なければなりませんでした。しばらくするとまた走り出すのですが、かろうじて道路脇に立てられていたポールを頼りに、ゆっくりと車を走らせる 程度で、なかなか雪嵐を抜けることができないでいました。永遠にこの吹雪の世界から抜け出せないような不安と、翌日の昼に、東京で予定されて いる聖書クラスに間に合うだろうかという不安に、何度も駆られました。その上、不安になる理由がもう一つ、地方の高速道路のサービスエリアの ガソリンスタンドが、夜中は休業 しているのです。もし雪の中で立ち往生してしまったら・・・と心配になりました。そしてさらに、夜中の運転ということもあって、眠気が襲って きたりと、とにかく色々な戦いがありました。
 途中、夜も更けてきて、疲れも限界にきていたので、パーキングエリアで車のエンジンをかけながら少し仮眠をすることにしました。眠っている 間に吹雪が止んでくれることを期待しつつ・・・。しかし、仮眠から覚めてもなお、吹雪は続いていました。とにかく、まずは24時間営業のガソ リンスタン ドのあるサービスエリアを目指して前進することにしました。そしてついに、自分でもじれったく感じるほどのゆっくり走行を続けて、夜中も営業 しているガソリンスタンドにたどり着くことができたのでした。このガソリンスタンドに到着した時は、まずは関門を突破できたという感じがしま した。

私の感じたとおり、このガソリンスタンドを後にしてしばらく進むと、雪の降る量が次 第に少なくなっていきました。希望の光が見えはじめてきました。そして高速道路を走りながら、夜明けを迎えたのです。

辺りは次第に明るくなりはじめ、雲はパープル色に染まっていました。朝日が顔をのぞ かせると、今度はそれらの雲は光を浴びて、黄金色に輝きはじめました。その景色の神秘的で美しいことといったら・・・。

さっきまでの吹雪の世界がまるで嘘のようです。私は、この二つの世界がほとんど同時 に存在していることをこの体験で、味わい知ることできました。

いつまでも続くかのような猛吹雪の世界・・・その世界から、私は早く抜け出したい一 心で、とてもゆっくりな速度ではありましたが、とにかくたゆまずに進み続けて きました。もしそれを途中であきらめ、どこかのパーキングエリアに留まっていたなら、この夜明けの美しい神秘の世界にはたどり着くことはでき なかったことでしょう。

人は時々、好きであろうとなかろうと、どうにもならないような困難な状況に置かれる ことがあります。それは人生の嵐あるいは吹雪の世界と言えるでしょう。その時、仕方がない、自分ではどうしようもない、とあきらめ切った態度 でその困難の中に留まるという選択をすることもできます。しかし、その失意と絶望の霊の状態に留まりたくないと決意するなら、それによって生 み出されるエネルギーが、一歩一歩、前へ前へと進ませ、ついには、絶望とは全く別の希望と安らぎの世界へと導いてくれるのです。
 「希望は失望に終わることはない」という言葉がありますが、あきらめずに戦う限り、私たちには勝利があるのです。

心配していたバイブルクラスの時間にも、無事間に合いました。そして午後、二つのバ イブルクラスをすることができ、実り豊かな主の祝福の時を持てたことは、本当に勝利だったと思います。

猛吹雪の中、「出て行きなさい」と言われた主の御声に従うことができたこと、そして 絶望的な状態の中でも、あきらめずに進み続けて来られたこと、それは全て主の恵みでした。感謝します。

ところで、もう一つというか、ここで、今回の勝利の背後にある大きな要因をお伝えし ておかなければなりません。それは、この全ての背後にあった祈りの力です。わたしの妻や子供たち、そして友人の方たちが、この出発をお祈りで 支えてくださっていました。祈りの力が無かったら、わたしはそれこそ、雪の中で立ち往生していたかもしれません。あるいは、仮眠の時、眠りす ぎていたか、吹雪の中で、何かにぶつかってしまっていたかもしれないのです。主は、これら全てから私を免れさせて下さいました。お祈りのおか げです。

最近は、気候も天候も、少し、異常に思える時がよくあり、時には悪魔的な力を感じさ せられる時も度々です。悪魔のことをエペソ2章2節には「空中の権をもつ君」と書かれています。ですから、悪魔は天候や自然災害に対する何ら かの影響力を行使しているに違いありません。あるいは悪魔とその手下に影響を受けて、人が自ら間違った決断をして災害を自ら招いているという ことが多いと思いますが。

ですから、私たちのしていることが、何か障害にぶち当たる時は、ただ物理的に何か他 の手段を考えればいいというだけではなく、やはり、祈りを通して自分たちの力を越えた主イエス様の力に依存することによって、背後にある霊の 力に対抗する必要があるのです。

「最後に言う、主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗 して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。私たちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、 また天上にいる悪の霊に対する戦いである…絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、す べての聖徒のために祈り続けなさい。」(エペソ6:10-12,18)

「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお 受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。」(ヨハネ14:13,14)

「私たちが神に対していだいている確信はこうである。すなわち、私たちが何事でも神 の御旨に従って願いも止めるなら、神はそれを聞入れて下さるということである。」(第一ヨハネ5:14

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