その時こそ

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2024年2月16日

その時こそ (2013年2月 ひとし ずく1089)

単に、主の望まれることをするという時
自分が好きだからとか
やりたいからというのでもなく、
ただ、それが主の御心だから
主が喜ぶから
人に仕えることだからする

そうであるなら、
自分のやってきたことの結果が
人受けしなかったとしても
関係のないことだと思う


主は分かって下さる
理解して下さる
主は、「おのれをむなしくして」
仕えて下さった方だから

主のために
他の人のためにと
思って一歩踏み出そうとする時
その時に

自分を 無にすることを求められるなら
その時こそ、
主が使おうとしている時なのだと思う
そして、そこに、

不可能 に思えるようなことが展開したとしても

その時 こそ、
主に機会を与えよう
その時こそ、
自分の思いではなく
主の御心がなされますようにと祈ろう

「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、お のれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至 るまで従順であられた。」(ピリピ2:6-8)

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