ゆっくりの効用 (2013年2月 ひとしずく1088)
今日、薪が足りなくなったので、また息子と一緒に、森林組合のところに行きました。 雪に埋もれている太い丸太を掘り出す作業、そしてこれらの丸太をチェーンソーで切る作業は、大仕事でなかなか時間がかかります。 ある人たちから見たら、このように冬の燃料一つを手に入れるにも、何時間もの時間を費やさなければならないなんて、何と非効率なことをして いるのだろう、と思えるかも知れません。私自身、毎朝の雪かきや薪集めなど、他の地域に住んでいたならしなくて済むことに時間を取られて、こ れらがなければ他の仕事をどれだけ進めることができるだろうと思ったりします。私たちが自由に持っていくことのできる丸太の上には、1メート半ほどの雪が積もっていました。丸太を取り出すには、まずその雪を除ける必要が あるのですが、やっと雪を掘って、丸太が顔を出した時にはもう大分時間がかかっていました。
私は息子に、「切り始める前に、ちょっと休憩し ようか」と言って、家を出る時に、娘がくれた手作りのクッキーや母親がくれたつまみを取り出して、作業していた場所で二人で食べ始めました。 この日は久しぶりに天気が良く、いつもに比べたら気温も暖かでした。一息つきながら眺める青空と、そこに白く雪をかぶった樹木の枝が伸びてい ます。木の幹や根元は焦げ茶色が縦のきれいな模様が雪原に映えています。
私たちはそんな風景を眺めながら「きれいだね」 を連発しました。息子は「こんな自然の中で働くっていいね。レジの仕事 (彼が前やっていたバイト)よりずっといいよ」と言いました。
私も、息子と一緒に汗を流しながら働けることに、感謝の気持ちが湧き上がっていました。そして、エッチラオッチラと仕事がなかなか捗らない ように思える時間は、実はとても祝福された時間なのだと思いました。
私たちはこのような田舎暮らしで、何をするにも 余計な時間がかかるけれど、こうしてきれいな自然の中で、子供と一緒に働ける時間を持てている。もし自分がしたいと思っている仕事だけを、超 特急並みにし続けていたら、このように息子と共に働いたり、一息いれて会話を楽しむことも、また美しい創造物を眺めて主の 愛に感動する機会も逃していたことだろうと思いました。
そして気がついたのです。これが、ゆっくり行くことの効用の一つなのだと。
現代の生活において、私たちは何に関してもスピーディーに物事を成し遂げようとする誘惑に駆られます。より多くをより短い時間にと。
時々主は、私たちの望んでいた計画に反して、病気や事故や、あるいは何か思いがけない問題が起こるのを許されることがあります。そんな余裕 は無いと思える時に。
それによって自分の計画は思い通りには行かず、滞り、時には台無しになることさえあるかも知れません。
しかし主は、私たちの身において、何がなされな ければならない最も大切なものかを良くご存知です。主は天と地を支配しておられる方です。したがって、主には良い理由があって、私たちが立ち 止まったり、ゆっくり進めざるを得ない状況を用いられるのです。
主は、必要とあれば、物事を素早く、あるいは一瞬の間にでも終わらせることが出来ます。しかし、あえて、ゆっくり物事を進めていくようにさ れるのは、きっとその方が、私たちや周りの人たちにとって、もっと大切であり、貴重なことを学ぶことができるということを知っておられるから なのだと思います。
主は改めて、物事をゆっくり進めていくことの大 切さ、その効用について教えて下さったのでした。
物事が思ったように捗らないように思える時間も、貴重な時間として、主に感謝すべきものなのだと思いました。
愛はゆっくりの中で育まれていきます。どうか今 日という日を、主のペースで進んで行くことができますように。
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