良き羊 飼い

良き羊 飼い (2013年2月配信 ひとしずく1087)

 友人に勧められてあるドキュメンタリーを見ました。それは、元小学校教諭、現在は北陸学院大学教授である金森俊朗(1946年―)氏につい てのドキュメンタリーでした。金森氏は「仲間とつながりハッピーになる」教育思想を掲げ、人と自然に直に触れ合う命の授業を実践している教育 者です。


 ドキュメンタリーの内容:

金森先生は、授業が始まる前 に「お手紙ノート」を生徒から受け取って、それを読むことによって、生徒一人一人の心の状態、またどんな苦しみや楽しみを通過しているかをよ く把握していました。

あ る時、おばあちゃんが亡くなって、その葬儀のために何日か欠席していた男の子に、おばあちゃんの死を通して味わった悲しみを綴った彼のお手紙 ノートを皆の 前で、朗読させました。そしてその後先生は、生徒たちが自分の心を分ち合うのを導きました。すると、今までクラスの中に溶け込めなかったある 女の子が泣き 出しました。彼女は三歳の時、父親を亡くしていて、彼女にとってそれはとても衝撃的で悲しい経験でした。それを誰にも言えずに、一人で心にし まい込んでい たのです。

 先生は、その機会をうまく使い、この女の子の思いを他の生徒たちに説明しました。それによってその女の子は、自分の心の悲しみを理解して くれる仲間をついに得ることになったのでした。そして彼女はそれをきっかけに、自分から進んでクラスの友達に交わることができるようになった のです。

 この金森先生は、こんなことを言っていました。

「私は、『人を私の心の中に 住まわせる』という言葉が好きです。私の心の中に、沢山の人を住まわせることができるのです」と。

彼は、ただ生徒を教えて彼ら が良い点数をとることや、学級の平均点を上げることよりも、まず生徒の一人一人をよく知り、彼らの命を育むことに、そして心の中に住まわせる ことに熱心な、本当の教育者だと思いました。 

またこれは、他のブログに あった金森氏について書かれたものです。 

「学校は、人と人とが激しくぶつかりあって失敗を繰り返す社会である。失敗が認められなければならな い社会である。今の子ども は人との距離をうまくとれず、人の心に平気で土足で踏み込むことが増加し、トラブルは起きやすい。そのときに大事なのは、クラスの土台づくり を4月から進 めていくことである。その土台づくりの前提となるのは、担任がキャッチャーに徹することであると金森俊朗先生はつぎのように述べている。
 子どもたちはさまざまな内面や好奇心を持っている。その子どもたちの内面を受けとめることを大事にすることがキャッチャーに徹することで ある。担任がキャッチャーであろうとすると、子どもたちの多くは間違いなく、内面や好奇心を出してくる。それをしっかり受けとめて、豊かに返 球するという 努力が今、最も担任に要請されているのではないか、と。」

 この金森先生の他に、もう一人、私が興味を持った人がいました。「体罰」をテーマにしたテレビ特集の中で見たのですが、野球チームを何度も 甲子園に出場させることを果たした監督です。

この監督は、以前どうしても わかってくれない野球部員の一人を、その怒りからつい蹴飛ばしてしまったのだそうです。

 このため、この監督は処分を受けるのですが、彼はこのことを通して、色々と学び、また指導者として自分が至らなかったことを認めます。そし て暴力は、自分が指導者として不十分さを補おうとする未熟な行為であることに気付くのです。

 それから、彼は、何度も夜中の2時3時に起きて、一人山に登るようになりました。野球監督という立場を離れて、何十キロもの道のりを歩 いていると、 部員一人一人を色々な角度から見ることができるようになるからだそうです。一人一人と良い関係を築き、コミュニケーションを保てるように、部員の数が多く なりすぎないように、部員数を制限をすることもしているそうです。この監督は、良い説明、コミュニケーションがあれば、体罰を加える必要もな いと語ってい ました。

 どちらの人も、生徒たちをまずは一人の尊い人間として受け止め、そし受け入れ、その人を生かすために精一杯、自分を捧げている人たちだと思いま した。

そしてクリスチャンとして、 彼らから学べる尊い教訓があると思います。

良いリーダー(羊飼い)は、 力と権威で、人を何とか自分の思うままに従わせようとするのではなく、その人が神に近づき、愛と信仰の内に歩めるように、自らを捧げて行く人 なのだ、ということです。 イエス様、絶えず、私たち一人一人を大切に、御自分の心の中に住まわせて下さり、私たちを愛し、とりなし、成長させて下さっていることを感謝し ます。

どうか私たちが、少しでもあ なたのような良き羊飼いとなることができるように助けて下さい。あなたの愛は、理解を示し、力づけ、相手のわかる言語を使い、最善を引き出す エネルギーです。

どうか、そのあなたの愛を もって、これらのすぐれた指導者のように、そしてあなたのようになれますようにお導き下さい。 

「良い羊飼いは羊たちのために自分のいのちを捨てる。雇い人にすぎず羊飼いでない者、すなわち羊たち が自分のものでない者は、狼が来るのを見ると、羊たちを置き去りにして逃げてしまう。――狼は羊たちを奪い、散らしてしまう。――彼 は雇い人であって、羊たちのことを心にかけていないからである。わたしが良い羊飼いである。わたしはわたしの羊たちを知っており、わたしの羊 たちはわたし を知っている。父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは、羊たちのために自分の命を捨てる。」(ヨハネ 10:11-15

※金森俊朗氏について興味のある方は、こちらをご覧になってみて下さい。

http://www.wimp.com/homeroomteacher/

他の投稿もチェック

さまよえる群れ

ひとし ずく827-さまよえる群れ 以前、都内で大規模防災訓練が行われました。 震災に 遭ったと仮定して、一時避難所へ携帯メールを通して、避難するという訓練でした。しかし、その多くの人が臨時に設置された指示経路からの 情報をどうやって受け取ることができるか、わからなくて迷っていました。 ぞろぞ ろ歩いていく人の群れに「今、どこに向っているんですか?」とインタビューすると幾人もの人が「わからない」と答えていました。そして...

イエス様を受け入れるか否かの選択

ひとしずく819-イエス様を受け入れるか否かの選択 バイブルクラスに参加していた一人が、イエス様に出会って救われる前と、救われた後では、色々な事に対する見方が違うと話していました。たとえば、クリスチャン作家の映画や小説は、救われる前は、大変退屈なものだったけれども、救われてからは同じものでも、全く違った意味深いものになったということでした。 私もその通りだと思いながら「イエス様を受け入れるか否かの選択」がもたらす大きな違いについて考えたのでした。...

光を灯して

ひとしずく811 光を灯して <ある夜遅く山道を運転していた時のこと:> …山道にさしかかった時には、もう真っ暗になっていました。他に通る車もなく、その道には全く街灯がありません。山のカーブ道が続き、ある所は片側が谷になっている所もあり、しかもガードレールもない部分もあるので、一歩間違えたら、それこそ命取りです。 この暗闇の危険な道で、唯一頼りになるのは車のヘッドライトです。その光が、道の中央線や路側帯のラインやガードレールを照らし出してくれ、行くべき道を導いてくれるのです。...