一歩踏み出すなら

一歩踏み出すなら (2013年2月 ひとしずく1084)

 昨夜、夢を見ました。それは近くに住んでいる叔母の家のガラス戸の前に数人が立っているという夢でした。
  この冬、叔母は、息子の所で過ごしているので家を留守にしています。叔母は私たちに、家の前の除雪は、近所の人にブルドーザーでやってくれるようにお願い してあるから大丈夫だと思うけど、ブルドーザーが押し除けた雪が、積もり過ぎて屋根の雪とくっついてしまわないように、それだけ見ていてくれ ればいいと 言っていました。

最近この辺りは、雨が降ったり、日が照ったりの天気が続いていましたし、屋根の雪下 ろしも最近、他の人がやったばかりなので問題はないと思って いたのですが、その夢が主の導きのように感じ、とにかく叔母の家を見に行こうと息子と一緒に出かけたのでした。叔母の家の前に来ると、息子も 私も唖然としてしまいました。何と家の前の雪は、玄関のガラス戸がほとんど隠れるほどに高く積もっていたのです。ガラスが割れていないかどう か心配になり、雪藪(やぶ)を漕(こ)いで近くに行ってみると、ガラスは割れてはいないようだったので、まずはひと安心しました。しかし、こ この雪かきは、気が遠くなるほどの重労働になりそうで す。幅三メートルくらいの家の前の通路に、高さ2.5メートルほどの雪が積もっているのです。それが20メートルくらい続いています。しかも 雪は、締まって堅い状態になっています。これを全部取り除くというのは大仕事です。スコップだけでは到底対応できないと判断し、息子は家に戻 り、スノーダンプ を二つ、それから雪かきの長期戦に備え、栄養補給のため少しの食べ物を持って来ました。その雪の山を見ると、ただ圧倒させられ落胆 してしまいそうになりましたが、今日、夢にまで見せて主がここに来るように導かれたわけですから、とにかくこの先どうなるかはわかりませんでしたが雪かき に取りかかることにしました。

雪は堅く、また高くそびえているので、なかなか前に進みません。しかし私たちは、忍 耐をもって、じりじりと前進しました。私はただ、黙々とスコップを振るい、雪をスノーダンプに乗せ続け、息子はそのスノーダンプを押して、雪 を捨て続けました。
 そのように黙々とやり続けているうちに、何とか家の真ん中にある玄関に少しづつ近づいているのがわかります。そして全体の四分の一位、雪か きが進んだ頃でしょうか? 息子が、ブルドーザーが来て、私たちが掘り進めているのと反対の方から除雪し始めているようだと教えてくれまし た。私は初め、ブルドーザーは他の場所を除雪しているのだろうと息子に答え、そのまま雪かきの作業に集中していました。雪の山が大きくて、音 は聞こえるものの、雪の山の反対側で、何が起っているか見えないのです。しかし、やはりブルドーザーは、この雪の山の反対側から雪を除けてく れていたのです。数人の人たちが私たちの所にきて、ガラス戸の前の雪をブルドーザーの方にスコップで投げてくれるなら、後はブルドーザーが始 末すると言ってくれました。

何という奇跡でしょうか?私たち二人合わせての力を何十倍にもしたブルドーザーが、 突然やってきて、この雪の山の反対側からどんどん雪を取り除けてくれたのです。息子と二人だけの力だったら、恐らく今日中にこの作業を終わら せることはできなかったでしょう。
  私たちは、どうして今までブルドーザーがこの叔母の家の前の除雪に来てくれていなかったのかはわかりません。もしかしたら、私と息子がスコップをかついで 叔母の家に向うのを見て、ブルドーザーの持ち主が、叔母から頼まれていたのを思い出して急いで駆け付けたのかもしれません。あるいは、たまた まこの同じ日 に、除雪をする予定でいたのかもしれません。または私たちが、一生懸命やっているのを見て、気の毒に思って助けに来てくれたのかもしれません。あるいは、 ガラス戸が割れるのを恐れて、なかなかブルドーザーで、ガラス戸前の除雪をするのには、躊躇していたのかもしれません。

しかし、いずれにせよ主は、こういった形で、私たちが一見不可能に思えることでも、 とにかく主が示された通りに取り組んだことを祝福して下ったのでした。

 主は、御自分が示された通りに私たちが一歩を踏み出し、進み続けようとするのを祝福して下さいます。
  私たちは、神様が何かを示されても、自分には十分な才能はないし、助け人もいない、また資金もないし、時間もないから、それは不可能だと思ってしまいま す。しかし、神様が語られたのだからという理由で、とにかく一歩踏み出すなら、主はそれを支え、数々の祝福や助けを送って下さいます。これは また、霊的な 戦いや祈りにおいても言えることだと思います。自分が霊の戦いの中で、勝ち目がない、この戦いは自分の手に余る、この仕事に押しつぶされそう だと思える時でも、自分がすることについて主の確証を得たら、とにかく、祈りたい気分になっていなくても、主を呼び求めるという小さな一歩を 踏み出すのです。そうするなら主は、大きな 歯車を回してくれるのです。

主は、私たちがすべき一歩、それが小さな祈りであっても、それを祝福して助けを下さ います。霊の内には、聖霊や天使たちを、また実際面でも、力強い助け手を送って・・・。
 主の導きの下に、主の力強い御腕を、感じることができますように!

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