パッション(情熱)

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2024年2月9日

パッション(情熱) (2013年2月 ひとしずく1083)

 「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。」(第二コリント8:9)

「パッション」という、メル・ギブソン監督の映画がありました。パッションとは「キリストの受難」のことで、最後の晩餐からキリストの処刑、そして 復活までを描いたものです。「パッション」(Passion)という言葉は他に「情熱、愛情、愛着」という意味もあります。

 最近私は、聖書は、神様が愛着の神様であることを現していると書いた本を読みました。つまり、神様は人間を愛しているがゆえに、神という 身分を捨てて、人と同じ姿になられて、血を流し、肉を刻まれ、命を捨ててまでも人を救おうとされた。それほどまで、人に対して愛着を持たれた神様だという のです。

  神様の愛を説明するために書かれた、実際にあったこんな物語を思い出します。

 プレーリー地帯のある農場で火事が起りました。乾期に起きた火事は強い風に煽られて、必死の消化作業も虚しく、またたく間に燃え広がりました。

ようやく沈火された後、農夫が農場を調べるために歩いていると、何やら黒い塊があるのを見つけました。何かと思って調べてみると、それは一羽の 焼け焦げた雌鶏でした。そして驚いたことに、その雌鶏の体の下には、ひよこたちが元気に生きていたのです。母親であるその雌鶏は、自分の命を投げ出して、 燃え盛る炎からそのひよこたちを覆い守ったのでした。

 我が子を救うために、燃え盛る炎をも恐れず、自らの命を犠牲にした雌鶏・・・それはまさしく「パッション(情熱)」に駆り立てられての行為でした。

その雌鶏にイエス様の姿が重なります。イエス様は言われました。

「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」(マタイ23章37節)

  イエス様は、人々が神様の愛に立ち返るように訴え呼びかけましたが、聞こうとしないイスラエルのために嘆きました。

 イスラエルの人々に対する愛着、愛情が無かったら、幾度も呼びかけることもしなかったでしょうし、嘆く事も無かったことでしょう。御自分を 殺そうとしている人をも赦し、愛するその情熱。

神様の私たちへの愛は深く計り知れません。愛しているから、慰め、赦し、新しい命を与えて下さり、愛しているから、叱り、懲らしめ、警告するのです。

神様の私たちへの愛は絶えることはありません。

イエス様は、「わたしを見た者は父を見たのである」と語られましたが、そうであるなら、イエス様の行動からわかる のは、父なる神様はパッション(情熱)の神様であるということです。

  この神様の熱い愛は、イエス様の姿を通して現されましたが、それは、ただ私たちが受け取るためだけの愛ではなく、私たちが倣うべき愛なのだと思います。

何もかも捨てて、天から私たちの所に降りてきて下さったその愛、そして命を投げうって私たちを救って下さったその ッション(情熱)。

私たちはこんなにも神様に情熱的に愛されているのです。

そして、そうであるならば、私たちも互いに愛し合うことにおいて、もっと熱心になっても良いのではないかと思います。

家族、恋人、友人、同朋、同じチーム、から始まり、見知らぬ人、また苦手な相手でさえも、私たちがもし神様に委ね るなら、私たちは互いにイエス 様のような愛の存在になれるし、神様は私たちがそのようにどの関係においても、それに応じたパッションを持って愛し合うよう招いておられるのだと思います。

互いに愛し合うなら、私たちはイエス様の弟子として知られるようになるでしょう。

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13章34節,35節)

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