循環する世界 (2013年2月 ひとしずく1081)
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである…」 (ローマ1:20)
自然を見ていると、ものごとは巡り巡って再びもとに帰り、また循環するという神様の 知恵を感じます。季節は、春・夏・秋・冬を繰り返し、一日は朝・昼・夜、水も雨・川・海と循環し、作物も種・芽・花・実を繰り返す・・・。
伝道の 書にはこうあります。
「世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。」(伝道1:4-7)
神様は私たち人間を、循環する自然のしくみの中に置かれているのです。
そしてそんな中から、人間の生命も循環して、死んだら再び生まれ変わるといった輪廻転生という発想が生まれたのでしょう。
ある人たちは、この不動なる自然の規則正しい循環の繰り返しの中で、結局、この世は それを永遠に繰り返すだけで、何も変わらないのだという印象を受けてしまって、あきらめにも似た冷めた人生観を持ってしまっています。
こ の偉大なる自然やそのしくみ、摂理などを思うと、人は否が応でも神の存在を感じるのではないかと思いますが、その神を正しく知りえないことから、神は自然 を創ったものの、それ以上、つまり人の人生や思いにまでは、直接関わったりする存在ではないと考えている人も少なくないようです。
人生観は、この神の存在を正しく知り得るか、というところで大きく変わってくるので はないかと思います。聖書の福音書によると、神様はこれらの自然やそのしくみを、大いなる愛とご計画をもって創られたばかりではなく、御自分 の造られたその世界の中に入って、造られた私たちと共にその中を歩まれ、痛みと喜びを共にして下さる方なのです。
天地を造られ、また裁く座におられる方が、わたしたちの人生にそれほども親しく 係って下さるということは、途方も無いことですが、わたしたちはその愛の中に生かされているのです。主がその愛で、今日も一日、祝福して下さ いますように。私たちの目がその偉大な神様の愛に開かれますように。神様はイエス・キリストを通して、私たちがそのような愛に預かれる者とし て下さったことを感謝します。
どうか、この神様の恵みに、今日、一人でも多くの人があずかれますように。
「愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの 純真な心を奮い立たせようとした。それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、 思い出させる ためである。まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、「主の来臨の約束はどう なったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。すなわち、 彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、ま た、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存 され、不信仰 な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思って いるように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなた がたに対し てながく忍耐しておられるのである。
しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたもの も、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがた は、極力、き よく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。」(第二ペテロ3:1-13)
この永遠に続くかのように思える自然の循環が、やがて神の定められた時になって、 終わりを告げる時、私たちは、それぞれ、造り主の御前で自分の人生を見ることになり、それぞれの行いに応じて、報われることになります。
この世にあって、私たちが真の神を知っているということは何と大きな恵みでしょう か。この神が、私たちのために用意して下さっている義の住む新しい天と地を心から待ち望んで、その恵みを、そして希望を、愛の神をまだ知らず に虚しく生きている人たちに、精一杯分け合っていこうではあり ませんか。