被災地でのクリスマス活動報告

被災地でのクリスマス活動報告  パート3(2011年クリスマス ひとしずく672)

 今週の被災地訪問は、私と一人の子供以外は、前回と違うメンバーで来ています。友人夫婦とその子供で中一 の男の子、そして二人の友人の女性の計七人です。

 昨日の 被災地訪問は、以前行ったことのある町に行こうと考えていました。しかし、主に祈って示された導きは、その町よりも手前の町でした。その 町も津波で大きな被害を受けた所で、私たちはそこに行くことにしました。その町の仮設住宅は大きな敷地の中に並んでいました。

  以前、クリスマスの時期には、ホテルや色々なホールで、クリスマスコンサートやパーティを開催したものでした。一流のホテルで豪華な雰囲 気を味わいなが ら、ミュージックやダンスなどを楽しんで頂くのです。チャリティが目的でしたが、クリスマスシーズンの私たちの時間と労力は、ほとんどが それらのイベント の準備に注がれました。

しかし、今年は、華やかなクリスマスとは全くかけ離れた、雪のちらつく被災地の仮設住宅を回っています。私 個人としては、 こんなクリスマスの過ごし方の方が好きです。心に傷をもち、癒しを必要としている人たちに、慰めに満ちた「神の愛」のプレゼントを届けら れるとは、何と祝 福なことかと思います。イエス様のメッセージを全ての人に受け入れてもらえるかはわからないけれど、少しでも笑顔のひと時を届けられたら 本望だと思いつつ、仮設住宅を回りました。私は15歳になる娘とチームを組み、サンタの赤い帽子をかぶっていました。外気温は、昼過ぎに は二度、仮設住宅を回り始めたころは、おそらく零度以下だったと思います。車から出た時は寒さが身にしみましたが、プレゼ ントの箱を担いで歩き回っているうちに、体が暖かくなってきました。はぁはぁ言いながら大きく重い袋をかついでいた娘も、暖かくなってい るようでした。 「メリー・クリスマス! 皆さんにクリスマス・プレゼントお持ちしました!」と言って回っていると、前回と同じように、 皆感謝してそれを受け取ってくれました。ある年配の御夫婦は、私と娘に、お茶を勧めてくれ、仮設住宅の中に招いてくださいました。そこは あまりに狭くて驚いてしまいました。一人でも窮屈だな・・・今までずっと狭い部屋で暮らしてきた私でも、そう思ったほどです。彼らはお茶 やフルーツゼリーをふるまってくださり、奥さんがCDプレイヤーを持ってきて「『ありがとう』の歌を聞かせたくて」と言って、コンセント を差し込みながら説明してくれました。「詩を作ったんですよ。 『ありがとう』という題の。そうしたら、色んな方がそれを気に入ってくださって、それに曲までつけてくれて歌になったんですよ。それで今 では、新聞やテレビ局の人までもがやって来るようになったんです。聞いてください。」そして彼女はスイッ チを入れて聞かせてくれたのでした。

それは、被災地を支援してくれた人たちへの感謝の気持ちを詠ったもので、とても 素敵な歌でした。その歌詞のはじめの部分だけですが、ご紹介します。♪「被災地からのありがとう」(作詞 高橋久子 作曲三浦明利)月よ星よ 届けてほしいみんなの願いが届いて笑顔が戻ったことを鳥のように 空を飛んでありがとうを届けたい太陽のような 笑顔になってありがとうを届けたいとつぜん 何もかもなくなったけれど世界の人々が みんなが支援してくれた  ニコニコしている旦那さんは、12人兄弟の12番目だと聞かされて、私が娘を指して「ああ、この娘は12人の子供の11 番目ですよ」と 言ったら、驚いていました。そして娘の名前を尋ねられて「あかり」だと答えると、「ありがとう」の詩に曲をつけてくれた人と同じ名前だと いうことで、また また驚いていました。そして旦那さんは12人兄弟のうち、八人が男で四人が女だと教えてくれ、私の子供は四男八女ですと言うと、益々話が 盛り上がりまし た。 そして「私も実はCDを作製したばかりなんです。聞いてくださ い」とすでに差し上げた袋を指差して、その中に友人のミュージシャンが歌っている歌と自分のスピーチが入っていると言ったら「すぐに聞き ます」と言ってくれたのでした。帰り には、リンゴを持たせて下さり、連絡先も教えてくれたのでした。

 主がこの町に導かれたのは、きっと、この御夫婦に会わせるためだったのでしょう。

 プレゼントを届けにきたけれど、今日もまたたくさんの愛のプレゼントを被災者の方々から与え返されてしまいました。外は とても寒かったけれど、心はポカポカとなった一日でした

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