岩手県宮古での活動報告 (2011年12月配信 ひとしずく724)
被災地、岩手県宮古市への訪問のためにお祈り下さった皆さん、ありがとうございました。お陰様で、無事、訪問を終えるこ とができました。 私が一番、心配だったのが道でした。雪や凍結が予想されたからです。
私の現在の住まい北秋田市から、車でまず盛岡に出て、そこから宮古までは国道106号線を使って宮古へと向かいますが、これがとても曲がりくねった道でし た。この道路をまっすぐ伸ばしてみたら、おそらく、盛岡と宮古を地図で直線で結んだ二倍くらいの距離になるのではないかと思います。そし て山道なので、登 り下りもありました。
しかし、幸いなことに、行き帰りの二日間は、ちょうど天気が良く、日中の最低気温も零度くらいでした。106号線沿いには川が流れていて、ところどころ で、 川全体が氷で白く覆われている風景も見られました。もしこれが厳しい寒さで、天気の崩れた日であったなら、車を走らせるのにもっと時間が かかっていたこと でしょう。それでもその日、秋田を9時過ぎに出発して、宮古に到着したのは夕方になってしまいました。
当初考えていたのはその日の内に宮古を回り、盛岡まで戻って宿泊し、翌日、仕事 のため那須へと向かう予定でしたが、それはとても無理なことでした。家内に民 宿を見つけてもらい、仮設住宅を回るのは翌日にすることにして、宮古で一泊したのでした。その民宿には私の他に、復興工事の仕事で滞在し ている人たちがい ました。
宮城や福島の被災地は比較的、東北自動車道からも近く、行きやすいのですが、岩手の被災地は何と遠くて大変 なのだと思いました。これではボランティアに来る 人も少ないのではないかと思いましたが、案の定、宮古市の仮設住宅に住んでいる方も、支援がなかなか自分たちのところにやって来ないの は、やはり遠いからだろう、と言っていました。私はかえって、そういった所に来られたことを嬉しく思いました。
宮古二日目は、そこで一番大きな仮設住宅に行くことにしました。途中、宮古市の田老町という所を通りまし た。そこはおよそ800戸もの家が流されたということですが、瓦礫の撤去は終わったものの、何一つ新しく建設されたようなものは見当たり ませんでした。
しばらくすると、何百もの仮設住宅がいくつものブッロックに分かれて並んでいる、途方もなく広い場所に着き ました。私はさっそくそこで、クリスマスの時と同じように、絵本やカレンダーの入ったカバンを手にして、一軒一軒、それらを配りながら回 り始めました。
しかし、その時ふと思いました。
「私が今しているやり方は、聖霊が導いていることだろうか?時間は限りがあり、この仮設住宅を一人で、一軒 一軒回ったとしたら、幾日をかけても回りきれないだろう。それに、今は留守にしているところも多いだろうし・・・」
そして私は祈りました。「主よ、聖霊よ、あなたは何をされたいのですか・・・。」と。
す ると仮設住宅とは反対の方向に、二階建てのプレハブがずらっと並んでいるのが目に入りました。仮設の店舗のようです。今までの被災地訪問 では、そのような 店舗を回るようなことは一度もしていなかったので、気はすすまなかったのですが、足はそちらの方に向いて歩き始めていました。そして「そ うだな、この幾十 もある仮設の店舗に、絵本やカレンダーを置いてもらうなら、この店舗を利用する、仮設住宅に住む大勢の人たちがそれらに触れるチャンスが もっと出て来るか もしれない」と思いました。 そして店舗を一軒一軒回り始めたのでした。するとどうでしょう?行く先々の人たちが喜んで受け入れてくれました。店舗に は、お店の人たちやお客さんもいます。 歯科医院、理容店、お年寄りや児童が集まるセンター、食堂、雑貨店、食料品店、どこのお店でも、私が持って行ったカレン ダーや絵本などを 喜んでくださり、お客さんのために見える所に置いてくれるということでした。あるお客さんはそれを見て「私には孫がいるが、私ももらえる かい」と言ってく る人もいました。 お話をさせて頂いた中には、こんなことを話してくれた人もいました。
「被災した当初は、とにかく食べ物や、寝る場所の確保で忙しくしているけれど、後になると、心がもうついて 行けなくなる時が来るそうだね・・・」と。
その方は、あたかも自分がそうなってしまうのではないかという恐れを持っているような感じでした。そこで私 は、神様の愛のことを伝えました。その方はとても熱心に聞いてくださいました。そして音楽が大好きだということだったので絵本やカレン ダーと共に「嵐の中の平安」のCDもプレゼントしました。
その絵本やCDが、私がその方に話した神様の愛を、より深く理解するのを補って くれることでしょう。
多くの方々は、絵本に惹かれていたようです。絵本は子供さん用というわけではなく、もちろん子供さんにも喜 ばれていますが、じつはシンプルながらも深いメッセージが込められているので、大人の方にも、喜んで頂けるのではないかと思っていました が、本当にその通りでした。
私はふと、この絵本は、イエス様がされた、たとえ話のようなものかな、と思いま した。深い真理を、民衆が理解できるようにと、イエス様はいつも、たとえを用いて話されました。
「イエスはこれらのことをすべて、譬(たとえ)で群衆に語られた。譬によらない では何事も彼らに語られなかった。」(マタイ13:34)
そしてイエス様は、譬の意味を尋ねる弟子たちには、後で教えてやりました。深い理解を求める弟子たちには、 しっかりと説明されたのです。
絵本がイエス様のたとえ話なら「嵐の中の平安」のCDは、イエス様が弟子たちにされたように、それをもっと 深く知りたい人への深い説明のように思えました。
今回も、その絵本やカレンダーやCDをたくさん配ることができ、多くの方々に喜 んで頂けました。それらが、被災者の方々の心の慰め、また生きる希望と励ましになるようお祈りしていてください。 ところで、私は昨年から、いくつも被災地は回っていますが、岩手を訪れたのは今回が初めてでした。それもたった一人で、大した情報もな く、右も左も分から ないまま、何をどのようにしたら良いのかわからない状態での訪問でした。これは暗中模索の状態と言えますが、神様にとっては、そんな私を 導くのには絶好の チャンスだったのだろうと思いました。
私の祈りは、自分の思いや先入観や、今までやってきたやり方ではなく、ただ主の望まれることをそこでするこ とでした。
聖霊は、私たちが「こうであるべき」や「これを自分のやり方でするのだ」といった考えを捨てて、その静かな 聖霊の御声に耳を傾ける時、私たちの心に働きかけ るチャンスを持たれます。私たちに何も無ければないほど、そして主と聖霊に機会を与えれば与えるほど、最善のものを与えてくださるので す。
半日と言う短い間の訪問でしたが、聖霊は本当に最高に実り豊かな時を与えて下さったと思います。
今回もこうして、皆さんのお祈りの力によって、やり遂げることができましたことを、感謝をこめて、ご報告さ せていただきます。本当にありがとうございました。