被災地でのクリスマス活動報告

被災地でのクリスマス活動報告 パート2 (2011年12月 ひとしずく668)

皆さんのお祈りを、心より感謝いたします。

被災地訪問の最終日、東松島市のある親子会の皆さんの集まりに、参加させていただき、4ヵ月ぶりに彼らと会うことができました。私からの突然の連絡に、親子会の方々も驚かれたと思いますが、彼らは私と子供二人を暖かく迎えて下さいました。私たちは、その親子会の日程に合わせるために、被災地から帰る予定を一日遅らせたのですが、そのお蔭で津波の被害の大きかった牡鹿半島の仮設住宅を訪問することもできましたし、何より東松島の親子会の方々に再会できてとても嬉しかったです。

その日は、天候にも恵まれ、自然の中にある農家で、子供たちのために色々なアクテビティが用意されていました。ドラム缶で火をおこして、その火でシチューを作ったり、クッキーを焼いたりしました。またクリスマスカードを作ったり、前日に山から引き抜いてきたという木を、皆でクリスマスツリーとして植える作業もしました。私たちも一緒になって楽しませてもらいました。

 この企画に関わっていた人たちの準備も大変だったことと思いますが、そのアクテビティを導いていた一人の若い男性と話をすることができました。彼は火を起こしたり、クリスマスツリーを山から採ってきたりと、お母さんたちだけでは大変なことを、いろいろ手助けしていました。彼は東京で仕事をしているのですが、震災を機に、人生について深く考えるようになり、自分の故郷である東松島に頻繁に来るようになったそうです。そして、こうした親子会を盛り上げるにも、やはり男手が必要なことをよく承知しており、ボランティアでこうした活動を手伝っているということでした。そしてお金はなくても、これからもこのような活動にもっと力を注いで行きたいと言っていました 。

彼のような若者を見ると、日本の将来に対する憂いも吹き飛んでしまいます。

 ところで、この親子会で、一人のお母さんが、中学一年生の娘さんから預かったという手紙を私に持って来てくれました。娘さんは学校の行事があって、今回行けないからと、私たちに手紙を書いてくれたのです。それには、このようなことが書かれていました。

『夏休みに、私達を軽井沢へ招待していただき、ありがとうございました。軽井沢での楽しかった日々は、忘れたことはありません。別荘を使わせてくださったこと、温泉へつれていってくれたこと、バーベキューの用意をしてくださったこと、その他にもたくさんのことをしてくださったときは、とてもうれしかったです。この旅行のおかげで、私は震災のストレスから解放されました。別荘もいいところで、観光で行った場所も、とても良い場所ばかりでした。私は、この旅行のことを弁論に書きました。そして賞をとることができました。このような体験がなければ、賞をとることはできなかったと思います。本当に感謝しています。皆さんのおかげで、私は大切なことを学びました。 それは「親切な心」です。今度は私が、困っている人を助けられる人になりたいです。本当にありがとうございました。』 この手紙を、そのお母さんにもお見せすると「娘がこういうことを考えていたとは知りませんでした。軽井沢に連れて行ってもらったことは、娘にとって大きなことだったんですね。」と言っていました。  またもう一人のお母さんは「軽井沢に行けたことで、それを機会に心の整理がついたように思います。ありがとうございます」と言って下さいました。 彼らに今回こうして会う機会がなければ、あの軽井沢キャンプが、彼らにどのような印象を与え、また人生にどんなふうに影響を与えたのか、わからずにいたと思います。

思いがけず、彼らと会えることになり、彼らからこのような言葉を頂けたのは、私にとって、本当に素晴らしい主からのクリスマスプレゼントでした。

このクリスマスプレゼントを、彼らのために援助してくれた方や、祈ってくれていた皆さんにも、分け合いたいと思いました。この軽井沢キャンプ企画は、被災者の方々への皆さんの暖かい気持ちがあって、できたことでした。

主の愛が私たちを通して中学生の女の子の心に触れ、自分も誰かを助ける人になりたいという思いを起こさせました。そしてその体験が弁論大会を通して、きっと大勢の中学生や学校関係の人たちの心にも触れたことと思います。また軽井沢で心の整理ができたという女性、その他にもきっと、あの主の愛に包まれた体験は、彼ら一人一人の心に、暖かい希望の光となって生き続け、これからの人生を支え導いてくれるものと信じています。

改めて、皆さんの愛のご支援に心から感謝したいです。本当にありがとうございました。 「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」(2コリント1:4)

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