より良いもののために

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2024年1月14日
より良いもののために (2011年7月配信 ひとしずく523) 

 「主はより良いものを下さることなしには、何一つ取り去られることはない」

主は、私が思ってもいなかったような状況に導かれました。
 昨日、宮城県東松島市の被災者の方から私の所に、秋田の宿泊施設は利用できなくなったという連絡が入りました。秋田県側が言うには、県の災害支援法による支援は、避難所生活をしている人が対象であるので、仮説住宅に移った人は支援できないということのようです。この秋田での夏の親子行事に参加することになっていた人たちは皆、最近仮説住宅に移られたので、支援対象外になってしまったのでした。

 秋田県と東松島市の人たちの仲介のような役目をしていた私は、その連絡に愕然としてしまいました。この連絡を下さった子供会の連絡責任者の方や、秋田に行くのを楽しみにしていた子供会の皆さんが、どれだけがっかりしてしまっているかを思うと、私は「そうでしたか。残念でしたね。」では、済まされない気持ちでした。
 私は何とかならないものかと思いましたが、秋田の宿泊施設の責任者からも直接事情を聞き、 行政の決まりの前には、どうにもならないようでした。期待をもたせておいて、がっかりさせるなら、始めから何もしない方がまだ良かったというものです。行政の規則もわかりますが、何故か私は腑に落ちない気持ちでした。東松島の子供たちは、いつもの夏だったら、きっと地元の美しい海で思いきり海水浴を楽しむのでしょうが、被災後の海岸ではそれはとても無理です。その子供たちが今年はどこにも行けないまま、夏を見送るのかと思うと、かわいそうに思えてなりません。しかし私には主がこんなふうに被災者の人たちをがっかりさせて終わりにするはずはないという思いもありました。
 そしてこの状況を嘆くかわりに祈ることにしました。すると、軽井沢に大きな別荘を持っておられる知り合いの方のことを思い出したのです。もしかしたら、その方の別荘を使わせて頂くことができるかも知れないと思い立ち、さっそく連絡をとって尋ねてみると、秋田に行く予定だった日にちはその別荘を使う予定があるけれど、その後は空いているということでした。一つの可能性ができたのです。あとは被災者の方たちや、元々この親子行事を助けようとしてくれていたスタッフの人たちが、日にちの変更があってもかまわないなら、実現できるかも知れません。そして、これが主の御心であれば、主は必要な経費も供給して下さるはずです。
  この突然の予想外の行き止まりに、私は初め、がっかりし、どうしようかと思いましたが、主には何かきっと良い理由があるはずです。それがどういう理由かはまだわかりません。今は被災者の方たちを招くための、わずかな可能性が見えているだけで、そのための必要物も条件もまだ揃わない手探りの状態です。しかし私はとにかく、今は主に信頼し感謝することにしました。この行き止まりのように見える道は、実は素晴らしい場所へと続く曲がり角なのだと信じています。そして、これを読まれている皆さんにも、お祈り、応援して頂けたら嬉しいです。
 家を失い、危険な海や無残な風景を前にして過ごさねばならない、被災地の子供さんや親御さんたちに、主が憐れみと恵みを垂れて下さり、大きな祝福を与えて下さいますように、どうかお祈り下さい。そして、主がどれほど彼等のことを気にかけ、愛しておられるかを、被災者の方々にいくらかでも、感じ取って頂けるようにもお祈り下さい。 主の奇跡を皆さんに報告できることを願いつつ・・・。

神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

ローマ8:28

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