子供の目を通して
―著者不詳
レストランに入ると、子供連れは私たちだけでした。エリックを乳幼児用ハイチェアーに座らせた時には、誰もが静かに食事をしていて、話し声さえ静かでした。
すると突然、エリックが笑い出して、「ハーイ!」と言ったのです。幼くぽっちゃりしたその手で、ハイチェアーのテーブルを叩きながら。エリックの目は輝いていて、口を大きく開けて笑っていました。本当に楽しそうにくすくす笑っているのです。
周りを見回すと、ボロボロの汚らしいコートを着た老人が向こうにいて、エリックはその老人に満面の笑顔をふりまいています。
ダブダブのズボンのファスナーは半分しか閉まっていないし、これまたボロボロの靴からはつま先が出ていました。シャツも汚く、髪の毛はボサボサで長いこと洗っていないようです。ひげは中途半端に伸びているし、鼻は血管があちこちに浮き出ていて、まるで道路地図です。席が離れていて、臭いはしないものの、きっとひどく臭いに違いありません。
その老人は、手をひらひらさせて、「ほらほら、いい子だ!」とエリックに話しています。困惑して、夫も私も顔を見合わせました。
エリックはしきりに笑って、大きな声で「ハーイ!」と言い続けています。
もうレストランにいる全員が気づいていて、私たちとその老人を代わる代わる見ていました。あの汚い老人が、私たちのかわいい赤ちゃんにちょっかいを出しているのです。
やがて食事が運ばれてくると、その男は自分の席から大声で言いました。
「いないいないばあ!ほら、あの子は、いないいないばぁができるんだよ!」
誰が見ても、その老人の動作は、面白くも何ともありません。酔っ払っているのは明らかです。夫も私も困ってしまいました。黙って食事をしていましたが、エリックは相変わらず、自分に最大の関心を与えてくれる汚らしい酔っ払いに、知っているかぎりの芸を披露しては、お褒めの言葉をいただいていました。
ついに私たちは食事を終え、出ることになりました。夫は勘定を済ませるために先に席を立ち、駐車場で会おうと言いました。レストランを出るには、例の老人の前を通らなくてはなりません。私は心の中で祈りました。
(この人が、私かエリックに話しかける前に、外に出させてください。)
老人の席が近づくと、私はなるべくその人に背を向けて、その人とその臭い息を避けるように努めました。その時、エリックが私の腕に寄りかかって、その老人に向かって両手を広げ、赤ん坊がよくやる『抱っこしてちょうだい』のジェスチャーをしたのです。止める間もなく、エリックは私の腕から、その老人の手にさっと移ってしまいました。
突然、その臭い男と赤ん坊が互いに友情を交わしました。エリックは完全な信頼を寄せて、優しく素直に、その老人のボロボロのコートの肩に頭をもたせかけていました。その男は目を閉じていましたが、頬には涙がつたっていました。そのしわだらけで、薄汚れ、長年の苦労がにじみ出ている筋ばった手で、優しく、本当に優しくエリックをあやして、その背中をなでました。この短い時間に、二人の人間がこんなに深い愛情を示すのを見るのは初めてです。
私はただあっけに取られていました。少しの間、男は腕の中のエリックを揺らしてあやし、それから目を開けて、私の目をじっと見つめて、断固とした命令するような声で言いました。
「この子をしっかり世話するんだよ」
私は胸がいっぱいでしたが、何とか、「ええ」と答えました。
その人は本当に残念そうに、まるで痛みを覚えているかのように、エリッックを胸から離しました。そして、私にエリックを引き渡すと、こう言いました。
「あんたに神様のご加護がありますように。あんたは私にクリスマスプレゼントをくれた」
私はしどろもどろに礼を言うのが精一杯でした。
外に出ると、エリックを抱えて車に駆け寄りました。私が泣きながらエリックを強く抱きしめ、「神様、神様、許してください」と言っているのを見て、夫がどうしたのか尋ねました。
それは、たった今見たからです。人の罪を見ることもなく、決して裁きもしないあどけない幼い子供を通して現れるキリストの愛を。そして、母親は身なりを見、子供は魂を見たことを。私はクリスチャンなのに目が見えず、抱いていた子供は目が見えたのです。
私は、神様にこう言われているように感じました。
「わたしは、わが息子を喜んで与えたんだよ」
神はご自分の子供を、永遠に亘って与えられたのですから。
あのよれよれの老人は、本人も知らないまま、私にこのことを思い起こさせてくれました。『幼子にならなければ、神の国に入ることはできない。』(マタイ18章3節)