もっとも思い出に残るクリスマス

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2023年12月23日

もっとも思い出に残るクリスマス

―ノーマン・ビンセント・ペアレ

(ニュー・ガイド・ボスツ・クリスマス・トレジャリーより)

 また素晴らしいクリスマスシーズンが訪れました。鐘の音やクリスマスキャロル、喜びと不思議の季節です。また、なつかしい思い出に満ちた時でもあります。人々はしみじみと過去を振り返って、今まで過ごしてきたクリスマスに思いをはせるのです。

 私にも思い出す度に暖かな思いが込み上げてくるクリスマスが二つあります。

 一番感受性の強い少年時代を、私はオハイオ州シンシナティで過ごしました。ファウンテン広場のきらきら輝く巨大なクリスマスツリーは今もよく覚えています。街にはクリスマス・キャロルの歌声が響き渡っていました。

 私が12歳の時のクリスマスイブのことです。その日は、牧師をしている父と外出しました。父は遅くなったクリスマスの買いものをしていたのですが、たくさんの包みを持たされた私は疲れていて、機嫌がよくありませんでした。そして、早く家に帰りたいと考えていた時に、一人のホームレスの老人がやせ細った手で私に触れ、「お恵みを」と言ったのです。その老人は濁った目をして無精ひげを生やし、汚らしい格好をしており、私はとっさに後ずさりしました。

 すると父が優しく言いました。

 「ノーマン、人をそのように扱うものじゃない」

 けれども、私は自分の行いを悔いる気持ちもなく、頑固にこう答えたのです。

 「父さん、ただのホームレスじゃないか」

父は立ち止まりました。

「あの人は人生に失敗したかもしれないが、それでも神の子供の一人となるかもしれないんだよ」

 そう言うと私に1ドルを手渡しました。当事1ドルというのは大金で、特に牧師の収入からすればかなりのものです。

「これを持って行って、あの人にあげてくれ。敬意を持って話しかけ、イエスの名によってこれを差し上げますと言いなさい」

「ええっ、そんなことできないよ」と抗議しましたが、父は強い口調で言いました。

「私が言ったようにしなさい」

それでいやいやながらも、その老人のところに走って戻り、こう言ったのでした。

「すみません。このお金をイエス様の名によって差し上げます」

 その老人は1ドル紙幣を見、驚いた顔で私を見ました。そして素晴らしいほほ笑みがその人の顔に浮かんできたのです。生き生きとして、とても美しいほほ笑みだったので、その人が汚くひげも剃っていないことも私は忘れてしまいました。ぼろをまとったよれよれの老人だということも。その老人はうやうやしく帽子を脱ぐと、感謝を込めてこう言いました。

「お若い方、イエスの名によって、あなたに感謝します」

全てのいらただしさや不快感は消え去りました。私の周りにある通りや家々や何もかもが突然美しく見えてきました。なぜなら、奇跡に与かることができたからです。私はそれ以来、その奇跡を何度も見てきました。

二千年前にベツレヘムの馬小屋に生まれ、今も私たちと共に生き、歩み、その存在を知らせておられるイエスの名によって、人々に愛を与える時、その人達が神の子供となって素晴らしく変貌するという奇跡を。

すべての人の魂には崇高さが潜んでおり、輝く時を持っている。そして私たちが神に働いていただく機会を与えるなら、その時が来る。それがその年のクリスマスに私が発見したことでした。

もう一つのクリスマスの思い出も、これと似たような形で私の人生を変えました。

この時もやはり、貧しい人、社会から見捨てらような人々への父の優しい思いやりが、私の人生を変えたのです。

 夜遅くに父に電話がかかってきました。しかも全く思いがけない所からでした。赤線地帯にある家、つまり売春宿からの電話だったのです。その売春宿を経営している婦人の話では、そこの女の子の一人が死にかかっていて、牧師を呼んでほしがっているということでした。そこで、前に誰かから話を聞いていた父のところに電話をかけてきたのです。

 父は行くでしょうか?父はそのような要請を一度も断ったことはありませんでした。静かに母に行く先を説明し、それから私を見て、こう言ったのです。

「ノーマン、コートを着なさい。一緒に来てほしいから」

 母はぞっとしました。

 「15歳の子をそんな所に連れて行くなんて!」

 すると父は言ったのです。

 「人間の人生には、罪や悲しみや失望が満ちているものだよ。ノーマンもいずれはそれを知る時が来るんだ」

 私たちは雪の降る通りを歩いて行きました。そして大きな古い木造の家に着くと、婦人がドアを開け、二階の一室に私たちを案内しました。そこの大きな真鋳のベッドに横たわっていたのは、哀れな人形のような少女でした。透き通るように肌が白く、か弱くて子供のように見えました。私よりほんの少し年上だろうかというくらいでした。

 父は牧師になる前に医者をしていたので、その少女が重病なのがわかりました。

 父がベッドの端に座ると、少女は父の手を握りました。そしてささやくような声で、自分の育った家庭は立派なクリスチャンの家庭だったと言い、自分がしてきたことや、売春婦になってしまったことを後悔していると話しました。そして、自分がもうすぐ死ぬのがわかっているから、恐れているのだと。

 「私はとても悪いことをしてきたの。とても悪いことを」

 私はそこに立って話を聞いていました。その少女は、もう助けようがないように思われました。けれども、父はどうすべきか知っていました。その強く大きな手で少女の小さな手をしっかり握りしめて言ったのです。

 「私たちはみんな悪かった。『すべての人は罪を犯した』んだ。しかし、イエスが来られた。それは、私たちを救い、私たちが良くなるよう助けるためだ。私たちが心から悔いているなら、神は赦してくださるんだよ。イエス様を信じるかい?」

 少女はうなずきました。父は話を続けました。

「じゃあ、こう言ってくれるかい?『イエス様、私の罪を赦して下さい』

少女はその言葉を繰り返しました。父は言いました。

「神様はさまよっていたご自分の子供のことを愛しておられる。そして時が来たら、神様はいつでも君を天のふるさとに連れて行ってくださるんだよ」

 たとえ、私が百歳まで生きたとしても、その後で父が死にかかっている少女のために祈った時に、その部屋で感じた力と栄光は決して忘れないでしょう。そこに立っていた他の女性たちは、目に涙を浮かべていました。私もです。なぜなら、全てのみじめさや汚れがさっと消し去られたからです。ベツレヘムで生まれた愛が、暗く陰うつな通りに現れ、何ものもその愛を消すことはできませんでした。

 悲しい人でも孤独な人でも、すべての人には希望があること、そして誰も過去の間違いのゆえに見捨てられたりはしないのだと知ったこと、それが、私がそのクリスマスに受け取った贈り物だったのです。

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