花のいのち

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2023年12月16日

何年か前に、洪水で被災したところに咲く花を見て、色々と学ぶことがありました。イエス様ご自身も「野の花を見るがよい」と言われました。野の花、空の鳥に注がれる神様の御手から、考え、学びなさいということを主は言われています。これから、被災地の訪問の後、作成した冊子「花のいのち」から抜粋して分け合いたいと思います。

また、この冊子を読み直していた時、今年のカレンダーのテーマのアイデアが与えらえました。時間が迫っている中で、親愛なるアーティストがカレンダーの絵を描いてくれ、少し遅くなりましたが、現在印刷中です。カレンダーご要望の方は、shizuku365@proton.me にご連絡下さい。下のイラストは、2024年のカレンダー1月のページです。A5サイズで見開きA4サイズです。

以下は、小冊子「花のいのち」からの抜粋です:

被災地に咲く 花のいのち

-被災地にて 2019・11(ひとしずく3497-3499)

泥に咲く花たち

先日、三日間ほど、台風19号の被害に遭った福島県郡山市に行ってきました。

社会福祉協議会のボランティアセンターで受付をして、要望があるお宅に行くように指示されました。

私たちのチームは、ボランティアをする間、泊まらせてくださっている県内に住む友人のYさんと、山梨から午前中だけでも手伝いたいとやって来た初対面の男性と、私の娘のAと私の4人でした。

これから、そのうちの一軒のお宅を手伝った時の話をしたいと思います。

そのお宅は、ゴミの收集時間に間に合うように家の中の家具を運び出すのを助けて欲しいという要望でボランティアセンターの方に連絡してこられました。そして私たちはそちらにお手伝いに行くことになりました。

私たちがそのお宅に到着すると、マスクに割烹着姿の女性が、荷物運びに一人で奮闘していました。詳しく話を聞くと、他県から派遣されていた大型家具などの廃棄物の収集車が、その日を最後に帰ってしまうというのを聞いたのはその日の朝のことだったそうです。その家のご主人は出張でおらず、奥さん一人では対応しきれなかったので、福祉協議会のボランティアセンターに電話して助けを求めたとのことでした。

さっそく私たち四人で、廃棄する大型の家具やその他の色々な物を収集場所まで運びましたが、その作業はすぐに終えました。するとその女性は、庭の植木なども全部片付けてもらえないかと言いました。見ると水害に遭ったにもかかわらず、色とりどりの花たちが見事に咲いていました。立派な藤棚もあり、泥水に浸かった部分はきれいに洗い流されていました。とても大切にされ、よく手入れされているのがわかります。

「えっ、これを処分してしまうのですか?」私は思わず尋ねました。するとそこへ娘さんが週末の休みで、片付けの手伝いにやって来ました。娘さんも庭の花たちを抜き取ってしまうことに驚いていて、その娘さんに母親が事情を説明し、仕方のないことなのだと話しているのが聞こえました。どうやら、泥水に浸かってしまい病気になってしまうので、処分せざるを得ないようでした。確かに木の根元などからは少し悪臭が漂ってきていました。

そして私も納得し、花を根っこごと引き抜いて束ねる作業をしていると、そこの女性がまたやって来て、「本当にありがとうございます」と何度もお礼を言ってくれました。

台風の時の様子を尋ねると、彼女は堰を切ったように、心の中にたまっていた色々な思いを話し出しました。

処分しなければならない藤棚はお祖父さんの代に植えられたもので、ずっと大事に手入れしてきたこと、また近所の人たちと一緒に庭造りを楽しんでいたことなども話してくれました。見ると、フェンス越しの隣のお家にも似たような木が植えられていました。花や枝は切り落とされてすでに処分されていました。

彼女は台風以来留守になっている隣二軒の家を指差して、「光が灯らないと寂しいものです。ここに帰って来れるかどうか・・・」とつぶやきました。

そして、「私はどこへも行けないんです。この土地を買ったでしょう。父も母もこの家から離れたくないと言うし・・・。

うちは両親が高齢者なので、早く避難したんです。まさかこんなになるなんて思わなかったので、ほとんど何も持たずに。そして一階は全て泥水に浸かってしまい全部ダメになってしまいました。この辺は3・11の放射能の被害にも遭っていますが、今回はあの時よりもひどいです。もうどうしていいかわからないです。放射能の時、ここは1.5~1.7マイクロシーベルトあったんですよ、土を取り除いたり、庭にカーペットを敷いて、何度か取り替えて、ようやく0.1になったんです。でも今回のこの泥は・・・。

あそこに見えているのは堤防ではなく土手です。周りの新しい地区は、その土手をどんどん高くしていくので、川があふれたら、皆こっちに流れて溜まってしまうんです。そして溜まった水はどこにも流れてくれない・・・」

 彼女はその苛立ちをどこにぶつけていいのかわからないようでした。彼女にとって、3.11の災害の時にも、唯一心の慰めだったのがこれらの美しい花たちだったのだと思います。そして今回の災害からひと月経っても、庭をそのままにしておいたのも、この花たちを手放したくない思いがあったのでしょう。しかし他県から支援に来てくれている廃棄物収集車が今日で終わりというこの日に、駆り立てられるように、花たちを処分する決意がついたようでした。

それまでに彼女は、泥水に浸かった花や木々を何とか救う方法はないものかと、あちこちいろんな人に聞き回ったようでしたが、やはりこうなってしまったからには、根元辺りに臭いも残っているし、乾いた砂が飛んだり、植物が病気になったり、周辺の人たちにも迷惑がかかるということで処分することにしたとのことでした。

いよいよ、大切に世話してきた花たちとの別れの時が来て、その女性は泣いていたのか目が赤く腫れていて声も震えていました。彼女は「もう何をしても楽しくないのです」とつぶやきました。

私たちはこの被災された方の負担が少しでも軽くなるように、とにかく、限られた時間で今自分たちにできることをしようと、庭を更地にするために奮闘して働きました。午前中は四人、午後は三人で一日がかりの作業となりました。ちょうど今、花盛りの時期を迎えていた菊の花の紫、白、ピンクの色が鮮やかでした。その背丈は私の胸の辺りまであり、ここの家族の皆さんの心を慰め励ましてきたのでしょう。

私は今日、ここに来たのは神の導きだったとわかりました。心を込めて世話してきたこれらの花を、彼女が自分の手で引き抜くにはあまりにも辛過ぎたと思います。

病院から帰ってきたその家のおばあさんが、作業する私たちの所に来て、ひとこと「ありがとう」と言いましたが、やはり、引き抜かれた花たちを見るのは忍びなかったのでしょう。それ以降、庭に出てくることはありませんでした。娘さんは何度か車で家の物を運び出していましたが、あとで挨拶に来てマスクをはずすと、やはり目が涙で濡れていたようでした。

御家族で家の中の片づけをしていて、何度か笑い声が聞こえてきたりもしましたが、やはり、涙をこらえて明るく振る舞っていたのだと思いました。

作業が終わり、最後にあの女性が挨拶に来て、「もう、全部無くなりました・・・」と寂しそうに言いました。娘さんは何も言わずそこに立っていました。

私は昨年、2016年の台風10号で被災した岩手県岩泉に行った時のことを思い出しました。彼らは家も家族も失った人たちで、二年経っても、その時に失った家族のことを思い出して、目を赤くして泣いていました。やはり愛する人を失うことほど悲しいことはないのだと思いました。今回訪れたこのお宅は、幸いなことに御家族の方は皆無事でした。私は彼女と娘さんに言いました。「御家族がご無事で良かったです」と。

それは彼らにとって何の励ましにもならない言葉だったかもしれませんが・・・。

彼らに見送られ、そこを立ち去ろうとした時、道端のガードレールのところに、先ほど刈り取った色とりどりの菊の花束が山積みになって置かれているのが目に入りました。

花たちは、最後の収集車に積まれるのを待っていました。学校帰りの中学生がそこを通りかかりましたが、花には目もくれることなく、足早にそこを通り過ぎて行きました。

明日には炉の中に投げ入れられ焼かれてしまう菊の花の美しさが心に沁みました。

もしも、花に心があったなら何を言いたいのだろう?

最後の最後まで花を処分する決断を下せずにいた人たち。花たちを惜しんで泣いていたその人たちに花はこう言っているかもしれません。

「大丈夫、泣かないでください。今まで大切に世話して頂き、幸せいっぱいでした。

どうか希望を捨てないでください。私たちが今まで精一杯咲いてきたのも、皆さんに希望を持って進んで行ってほしかったからです。天国で待っています。」

そこを立ち去り、泊めていただいているYさんの家に帰ると、作業の時に刺さった何かの花のトゲの傷が痛みました。私の話を聞いたYさんのお母さんが、「きっとお花の心の痛みが伝わってきているのでしょう」とぽつり言いました。

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