クリスマス、聖霊と共に パート3
伝道の旅
今回の関東への旅は、近所のOさん家族の次男のS君が同伴してくれました。こうした御言葉を分け合う宣教の旅に、若者が同伴してくれるということほど、励ましになることはありません。
S君は、ちょうど、今までの仕事を止めたばかりで、そのいきさつを、今回の旅の直前に行われていたリトリートで分け合ってくれました。簡単に要約すると、彼は色々な理由から会社を辞めたいと思っていたのですが、辞める機会を主が取り計らって下さり、その辞める機会が<彼の思っていた時期ではなく、彼にとっては思いがけなく>とっさにやってきたのです。もっと良いタイミングと彼は考えていたのですが、神様は何が最善のタイミングかを知っておられます。
彼は、思いがけなく会社を辞めることになったその日の夕方から、彼が実は参加したいと思っていた聖書の学びを兼ねた修養会(リトリート)が始まったのです。彼は、自分と同年齢の仲間たちもいる交わりに加わることができ、楽しい時を持てたようです。また心を洗ってくれる真理の御言葉に浸ることができました。
リトリートの終わりには、私の東京への旅に同伴することを決断したのです。彼にとっては、まったく新しい体験となりました。色々な選択肢があったのですが、彼は東京でトラクトを配って福音を証しすることになりました。
道すがら、私が車を運転しながら、彼の数々の聖書の話になりました。これも彼が望んでいたことでした。すぐ近くに住んでいても、お互い忙しい毎日なので、そうした色々な質問したい事柄についてゆっくりと時間をかけて話し合えることはなかなかできなかったので、私にとっても彼にとっても祝福された時でした。一人で、長距離を運転するのは、疲れたり眠くなったりしますが、二人で話しながら旅すると時間を忘れます。その旅の間中、たくさんのことを話し合えました。
東京への旅の途中には、あるクリスチャンの友人の家族の「(S君曰く)とても暖かい」おもてなしを受け、そこでも共にみ言葉を分け合ったり、お互い心を分け合うことができました。これは再び、S君にとって良い体験だったことでしょう。セミナーや御言葉の学び、また伝道に参加した後、体調を崩したので、今は再び聖書通読に取り組んでいるとのことです。彼は、仕事を持っている間は、聖書を読む時間がなかなかとれていなかったので、この体調を崩したのも、神様の取り計らいだったのでしょう。御言葉に浸ることによって思いと霊が新たにされることは、神への奉仕へのまず最初に来るのですから。
主は心の願いをかなえられる:
主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。(詩篇37篇4節)
「今日泊るお部屋においてある、黒いバッグ、必要だったら使って下さい」と、その日泊めて下さる友人のSさんが、到着したばかりの私に言いました。
その黒いバッグというのは、Sさんと奧さんが近所を散歩していた時、バザールが開かれていて、そこに「ほしい方、どうぞ<無料で>」という札が付けられてあって」置かれてあったそうです。それで、彼らは、誰か使える人が友人にいるかと思い、それを持ち帰ったのです。
彼らは他の人に、そのバッグを欲しいか尋ねたそうですが、必要ないというので、私にくれたのでした。
私は、泊まることになっている部屋にいって、そのバッグをよく見てみました。するとどうでしょう。私が長い間探していたようなバッグでした。
私は、時々、セミナーをする際に、プロジェクターを持ち歩くのですが、そのプロジェクターにピッタリのバッグが欲しいと思っていたのです。このプロジェクターは、イエス様の証を受けて信じたある住職さんだった方が、聖書を読み始めた時に私のために購入してくれたものです。繊細な機械なので、大切にしたいと思い、丈夫で内側にクッションがついているようなもの、そしてコンピュータやコード、資料も入るような大きさのもの…となると、ちょうどのものというのがなかなか見つかりませんでした。それで代替えのかなりかさばるバッグを利用して、プロジェクターを毛布でくるんで中に入れてあるいていました。今回もそうだったのです。
しかし、まさに私のそうした使用のために与えられたこの立派なバッグに、ウーン、神様は私の必要を良く知っておられると感動せざるを得ませんでした。
そして、私がそのバッグを気に入っているのを見たSさんも奧さんも喜んでくれていました。彼らは誰かが、このバッグを使うかもしれないと思って、そのバッグを家に持ち帰ったのです。
私は、さっそくそのバッグにプロジェクターを入れて、その残りの旅では、少人数の勉強会でもプロジェクターを持ち込みやすかったのです。
そういうわけで、今回の旅の途中からは、用意したスライドショーを見せて回ることができました。
旅の最後の日は、Kさんのところでの勉強会でした。そこで、初めスライドショーを見せるつもりはなかったのですが、そこで会うことになっていた人が来なかったりで、預言についての話となり、急遽、プロジェクターを使ってスライドショーを使って数日前のセミナー資料をお見せすることになったのですが、それに途中から参加された80歳以上の年配の女性の方も、「感動で体が震えました。自分の娘とも聖書をもっと読むようにします」という御感想を聞くことができました。やはりみ言葉がわかりやすい視覚に訴える絵像があると理解を助けてくれるということでした。
このバッグは、きっとこれからの<御心であれば、これからも>私の大切なパートナーとなりそうです。今回の旅で与えられた数々の恵みに加えて、主が私にぴったりの時機を得たクリスマス・プレゼントを下さったのです。
聖霊きたれり
忙しい中にも駆けつけてくれたSさん、Tさんと一緒に、別れ際に歌ってくれました。この歌が頭の中で今も響いています。ネットで見つけました。
- 何処(いずこ)にある島々(しまじま)にも 何処(いずこ)に住む人びとにも
喜ばしく宣べ伝えよ 聖霊来(きた)れり
聖霊来れり 聖霊来れり
天(あま)降りし慰(なぐさ)め主 地の果てまで
宣べ伝えよ 聖霊来れり - 暗き夜(よる)は開け放たれ 嘆く声も今は止(や)みて
目に入(い)るもの皆(みな)輝く 聖霊来れり
聖霊来れり 聖霊来れり
天降りし慰め主 地の果てまで
宣べ伝えよ 聖霊来れり - 君の君に解(と)き放たれ 自由なる身とせられし者
勝利(かち)の歌を高く上げよ 聖霊来れり
聖霊来れり 聖霊来れり
天降りし慰め主 地の果てまで
宣べ伝えよ 聖霊来れり - いとも深き愛と恵み いざ迷える罪人(つみびと)らに
語り告げて神の子とせん 聖霊来れり
聖霊来れり 聖霊来れり
天降りし慰め主 地の果てまで
宣べ伝えよ 聖霊来れり - み使いらも神の民も 無限の愛をほめたたえて
天(てん)に響かせ地に満たせよ 聖霊来れり
聖霊来れり 聖霊来れり
天降りし慰め主 地の果てまで
宣べ伝えよ 聖霊来れり
アーメン!アーメン!
私が大学寮に住んでいた時、よくこの賛美を音痴ながら、一人で、寮の空き部屋で歌っていました。力も証も愛も知恵も、聖霊からですね。真理の御霊が来る時、私たちをあらゆる真理に導いて下さる。聖霊様、私たちに宿って下さい。そしてイエス様に栄光!
以前は海を渡ってイエスの福音を伝えることが夢でした。主は願いをかなえて、地の果てと思えるようなところまで宣教の旅をさせて頂きましたが、今私は思います。自分のすぐ近くにいながら、救われていない罪の闇の虜になっている人達、この人達こそ、聖霊が慰め、聖なる愛を示されたい、イエスの福音によって解き放つことを願っている人達だと。霊の内では、この世の果てと思える状況に人々はいます。
自分を捨てて聖霊様の働きやすい器となれますように!
すべて神の御霊(聖霊)に導かれている者は、すなわち、神の子である。 (ローマ8章14節)
<続く>