12月9日 犬の恩返し(ひとしずく一七六六)<2014年のひとしずくから>
昨日、宮古でイエス様を受け入れた人が、震災の時の話をしてくれました。その人はダルメシアンのジョイちゃんという名の犬を飼っていました。被災当時は17歳、老齢なので、体に色々と支障が出てきていて、ちょうど歩行器を使い始めるところでした。またおむつをしていました。
彼女は娘さんと、被災する前から、もし津波が来て避難するとしたら、高台の国道沿いにある道の駅に行ったらいいね。と話していたそうです。なぜなら、その近くには犬が散歩できる場所もあるし、一緒に避難した人達に迷惑もかからないだろうからということでした。
そして三・一一になりました。その時、娘さんはそこにいなかったのですが、地震が起り、停電したり、気配が尋常ではないことに気づいたご主人と奥さんは、この犬をとにかく、早く連れ出し、助けなければと思ったそうです。彼らが避難する際、車に積んだものは、この犬のおむつと、ドックフードだけでした。自分たちの必要品はいっさい持ち出すこともせずに、一目散に道の駅に逃げたのだそうです。
しかし、道の駅に着いてみると、閑散としていて、あまり避難してくる人もおらず、町を見下ろしてみても、静かなままでした。ちょっと自分たちは早まった行動をとってしまったのかな、と一瞬思い、家に引き返そうかと思いました。大したことは起こりそうもないようにも見えまし た。しかし、もしも何か起ったら、病弱の犬を連れてのこと、犬もかわいそうだし、周りの人達にも迷惑をかけてしまう、そして犬の散歩でき る避難場所は、あまりないということで、引き返すのをやめ、様子を見ていました。すると、しばらくして、巨大な津波が町を飲み込んでし まったのです。この町には、万里の長城と言われた立派な防波堤があったこともあり、町の人々は、まさか津波もその防波堤を越えてくることはないだろうと思って避難しなかったのではないかと思われます。道の駅に逃れてきた彼らも、もし、その愛犬がいなかったなら、避難することはなかったかもしれません。彼らのこの犬に対する思いやりが、彼ら自身の命を津波から守ったのでした。
ところで、この犬は震災後二十日経って卒業したそうです。彼らは津波で家を失ってしまいましたが、もっぱら彼らの関心は、自分たちがどんな目に遭い、何を失ってしまったかということよりも、家族の一員として、かわいがっていた犬の介護にありました。したがって彼らにとっては、被災のショックもさほど大きく感じなかったと言います。
家を失った彼らは、避難所に行かねばなりませんでしたが、そこではこの犬がかわいそうと、ペットも一緒に住めるマンションを探し、せめてそこで安心した最期を迎えさせたいとの思いから、被災を免れた娘さんが、マンションの手続きを始めたそうです。それは、娘さんにとってかなりの負担でしたが、とにかく、愛犬、ジョイちゃんのために、出来る限りのことをしてあげたかったのでしょう。ところが、不思議なことに、明日、いよいよそのマンションに住むという時に、ジョイちゃんは天国に旅立ったのでした。彼女は、きっとそれが娘さんにとってもかなり大変になることを知っていて、迷惑をかけないために、先に逝ったのだろう、と話していました。
「犬に対する私たち家族の愛は、報われました。命を犬に救ってもらいました」
これが、今もその感謝をもって、仮設住宅に住んでいる一人の人の証言でした。
自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。 (ルカ十七章三三節)
愛はいつまでも絶えることはない(第一コリント十三章八節前半)