被災地でのクリスマス

12月7日 被災地でのクリスマス

‹毎年、年末が近づく頃になると、とても忙しくなります。冬を迎える準備もそうですが、何と言ってもクリスマスです。イエス様のことを伝える絶好のチャンスです。今年のクリスマスはどんなことを主は御計画されているのだろう?と期待を持って色々考えます。

振り返ってみると、クリスマスの時には、特に感動のいっぱい詰まった思い出が甦ります。

主の愛を伝えるために、その年、示されたことを精一杯することに対して主はいつも、何倍にもして返して下さってこられました。その時、一緒に働いた人達、またプレゼントを届けることができた被災者の方たち、途中のハプニング、涙と笑いとハラハラ、たくさんの人達からのご支援とお祈り、主からのお言葉と御霊の感動…一つ一つの場面が甦ってきます。良い思い出に浸ったら、時間がいくらあっても足りないくらいです。

 ある時期、私たちは、クリスマスパーティの企画に忙しい時を過ごしていました。くる年もくる年も今度はどこのホテルで、クリスマス・バンクエットをするかということが話合われていたものです。豪華なクリスマスディナーを一緒にというのも、素晴らしいのですが、クリスマスは別の過ごし方をしたいと思うようになった頃に書いたメールを読み直していました。今は体力的についていけないことが多くあり、寒い冬に外に立っていることはあまりできなくなりましたが、主が示された小さなことをやろうと思っています。

 以下は東北大震災のあった年のクリスマスを間近にした時に書いたものです›

–ひとしずく六三〇 より抜粋二〇一一年十一月–

 …目が覚め眠れなくなって、トイレに行ったり、祈ったりした後、ふと外に出てみようと思いました。真夜中だと思ったら、もう5時近くでした。まだ外は真っ暗で、林の黒いシルエットの間にぽっかりとあいた紺色の空に、月が冴えた光を放っていました。その美しいことといったら・・・。月を眺めていたら突然、私は、クリスマスシーズンのある寒い夜、養護施設を訪ねた時のことを思い出しました。ちょうど最近、クリスマスの計画を考え始めていたせいかもしれません。
 昔、クリスマスプレゼントとして、子供用の楽しい教育ビデオを養護施設に配り歩くプロジェクトがありました。届けなければならないたくさんの施設があったので、最後の施設に着く頃には夜になってしまいました。かなり寒くなっていましたが、月明かりがとってもきれいでした。その養護施設は、職員が一人いただけで、子供たちはお寺の畳敷きの部屋にいました。寒い部屋で、一人男の子が熱を出していたのに、布団の上ではなく、畳の上に横になっていました。施設の子供たち、小学生7人くらいが、私が届けたビデオをすぐに見始めました。皆とても楽しそうに見入っていました。
 その施設を後にし、月明かりに照らされた道を歩きながら、「ここに来れてよかった」と思いました。子供たちにちょっとした楽しいひと時を提供することができたことで、嬉しく思えたのです。そしてイエス様の、彼らに対する愛をとても強く感じたのでした。

 …つらい経験をされて、初めて仮設住宅でクリスマスと新年を迎える被災者の方々の気持ちを思うと、自分の抱えている悩みや問題が、とてもちっぽけなものに思えてきます。
 今年のクリスマスは、特に被災に遭われた心砕かれた人たちが、優しく癒される時が与えられるよう、心から祈りたいと思います。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ二章十三節) –二〇一一年ひとしずく六三〇からの抜粋終わり–


  王の王、私たちの神であられる御子が、私たちの救いのためにこの世に来られたことを、伝えるために、聖霊の導きに従えますように。主の御名が讃えられますように!!

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