クリスマスの奇跡 -7

12月5日 恩返し クリスマスの奇跡 パート七 (ひとしずく一三九六)


 Aさんは、私のことをマッちゃんと呼んでいました。突然現れた彼は、アパートの戸を開けるなり、「マッちゃん、泊めてもらいたい人がいるんだけど、いいかな?」と尋ねました。(外は雪が降っています。)
 私は咄嗟に「ああ、いいよ」と答えました。きっと彼は、私の所に来るのも気まずかったに違いありません。しかし、それでも私の所に来て、宿がなくて困っている人を泊めてほしいと頼みに来たのでした。Aさんの友人でも知り合いでもない人たちのために。

Aさんに「ああ、いいよ」と答えた私の心には、この聖句が浮かんでいました。

旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。(ヘブル十三章二節)


 聖霊が聖句を使って私の心に語りかけたのです。

Aさんは、私の返事を聞くや否や、すぐに外に飛び出して行きました。

「あ、待って!」と、私はAさんを追って慌てて外に出たのですが、不思議な事に、彼はもうどこにもいませんでした。それがAさんを見た最後でした。 

Aさんのジャンパーだけがアパートに残されていました。まるでAさんが来た証しのように。

Aさんは共に暮らしている時、私に「必ず、恩は返します」といつも口癖のように言っていました。私はそんな彼の言葉に、そんなことしなくて良いのだといつも返していました。第一、彼にはとても恩返しなどできそうにありませんでした。

Aさんは私に恩を返したいという願いを果たせなくて、自分の持っていた唯一の財産とも言える黒い皮ジャンパーを置いていったように思えました。追い出した私を恨むでもなく、寒さに凍えてまで、彼は私のために恩を返したかったのだと思います。雪の降りしきる、寒い夕暮れでした。

今でもその時のことを私は忘れることができません。あれからAさんがどうなったのかわかりません。天国に行って彼に会った時、私は謝らなければなりません。そしてイエス様にも。もしかしたら、Aさんもケーキ屋さん同様、天使だったのかもしれないと思う事もあります。私を神に仕える道へと導くために、天から使わされた天使だったのだと。

私は部屋に戻ると、こたつに入って再び聖書を読み始めていました。

すると、「ハレルヤ!」という声が聞こえ、アパートの戸ががらっと開いたのです。

Aさんが泊めてほしい人がいると言ったのは、この人たちのことでした。(続く)

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