クリスマスの奇跡 -2

j
2023年11月30日

11月30日 敵を愛しなさい クリスマスの奇跡パート二 (ひとしずく一三九一)

  私はケーキの一つを頂くと、残りのケーキについてのアイデアがひらめきました。駅に何人かいたホームレスの人たちの所に持って行こうと思ったのです。   

  当時、私は何度か色々な町に出かけて行き、耳を傾けてくれる人たちに聖書の言葉を読んで聞かせるということをしていました。そして、 時々、駅にいたホームレスの人たちは、私の話を良く聞いてくれる人たちでした。彼らは、寒い冬には、暖をとるために駅の待ち合い所にいたのを知っていたので、私はそれらのケーキを持って行きました。

  いつもは彼らに御言葉以外、何も分け合うものがない私が、その時はケーキを一人一人に配ることができたのです。とても嬉しい気持ちでした。

  ところで、この日だったか、他の日であったかは覚えていないのですが、私は、いつものように市の図書館に行きました。偉大な信仰者達の伝記や彼等の書物を読むのが大好きでした。たとえば、マルチンルターのロマ書講解とかアウグスチヌスの著書などです。大学の授業が終わってから図書館に立ち寄るのは私の日課のようなものになっていました。その日は、図書館に行く途中に、青空市場が開かれていたので、安いジャガイモを目にした私はそれをひと袋買いました。たまには御馳走を食べようと思ったのです。そしてジャガイモの入った袋を手にぶら下げて、 図書館に入ろうとするところで、出会ったのです!私の祈りの答えに導いてくれた人に。

  その人は黒い皮ジャンパーのポケットに手を突っ込んだ、坊主頭の、見るからにガラの悪い男性でした。二十代後半の若い男性でした。彼は私を待っていたかのように、いきなり、私の図書館への道を塞ぎ、「少し話があるんだ」と小声で話しかけてきたのでした。

  私は、その男性が全くの見知らぬ人であり、怖そうな顔つきをしていたので、無視して過ぎ去ろうとしました。すると彼は豹変して「やい、テメエ、人が話しかけているのに無視するのか!俺は、(ゲンコツを前に出して)これ一発で、お前なんか簡単にぶちのめすことができるんだぞ!」と怒鳴ったのです。

  私は相手のこうした態度に少しびっくりしたものの、彼の怒鳴り声以上に、突然、私の心に強く響いたある言葉に衝撃を受けていました。それは、「あなたの敵を愛しなさい」という聖書の中でイエス様の語られた言葉でした。

  その瞬間、私の関心は、自分の身を案じるのではなく、相手を愛することに向けられました。イエス様のその言葉が私を突き動かしたからです。

  そして私は彼に言いました。

「わかりました。それでは図書館のロビーで話をしましょう」と。

  するといきり立っていた彼は急に拍子抜けしたみたいで、「い、いいよ」と私と一緒に図書館に入ったのでした。(続く)

他の投稿もチェック

神の言葉によって

神の言葉によって 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。(ヘブル11章11節) 自分のうちには、力も気力ももう残ってはいないと思えても、この朽ち果てて行くからだに、もし神が御声ををかけて下さるなら、その御言葉の種が命を与えてくれることを知っています。神の御心は成し遂げられるからです。...

洪水(信仰のテスト)に備える

洪水(信仰のテスト)に備える 人生、八方塞がりのような場所に立たせられる時が、誰にでも幾度かあるのではないでしょうか? 今、もしかしたら、そうした困難に遭遇している方もおられるかもしれません。世界の情勢がますます混乱に向かっている中、人々もそれに巻き込まれたり、またそうでなくても周りを見て不安に感じ将来に対する行き詰まりを感じている人も少なくないと思います。  イエスが人々から殺されかけた時のことについての、次のように聖句があります:...

前のものに向かって

前のものに向かって わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。 (ピリピ 3章12-14節)...