11月24日 静けさの中で
わたしは夜や、夜の明ける前に外を歩くのが好きです。
暗い外に出ると、それまでの忙しいモードを切り替える助けになります。冷たい外気も、疲れてほてった体を冷やす助けになり、静かに外を歩くと、心 を静める助けにもなります。
聖書の創世記1章5節には、「夕となり、また朝となった。第一日である」とあります。主が、夕方から朝までの間の暗い夜を造られた意図は何だったのでしょう?
電気による明るい夜に社会全体が慣れてしまって、今では夜でも働き続けて当たり前ですが、その反面、次のような「時」が一日から押 し出されてしまうことがよくあるのではないでしょうか。
労働から離れて休息する時。家族や友人との団欒の時。心の静けさを保つ時。争いや仕事、夢中になっていること何であれ、一時中止して冷静に考える時。愛し合う時。コミュニケーションの時。人や状況から目を離し、神様の意思を仰ぐ時……。
明るいと、これらのことができないというわけではないのですが、どこかでストップをかけてもらわないと、いつまでも働き続けてしまう傾向が人間にはあるのではないでしょうか。人間のそのような弱さを主はご存知で、暗い夜を造られ、休むようにされたのだと思います。
主は六日間の創造のわざの後、七日目に休まれました。そしてその第七日を聖なる日とされ、私たち人間に何のわざもしてはならないと命じられました。人間に休むことを求めないなら、働き過ぎてしまうことをご存知だったからでしょう。働くこと自体が悪いというのではなく、命の源である神様か ら離れてしまうことが問題であり、それでは働きも的を外してしまいます。
イエス様は夜の明けるずっと前から、父なる神と交わることをされました。
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ1章35節)
そして聖徒たちの多くが朝の始まる前に神様との交わりのうちに、祈りの活動をしました。彼らは神様に祈って、神様と交わり、始まろうとする一日のための指示を受け取ったのです。すべては静けさの中で。
神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。(創世記2章2、3節)
安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざもしては ならない。(出エジプト20章8~10節)
あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。(詩篇4章4節)
主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。(哀歌3章26節)
すべて肉なる者よ、主の前に静まれ。(ゼカリヤ2章13節)