全体像 (高原だより ひとしずくより)
子供たちがデッサンを近所の方から教えてもらっています。わたしも時々デッサンについて、その方からお話を聞くことがあるのですが、とても興味深いお話がありました。それは、絵を描く時には全体をひとつの塊として捉えることだということです。その方は言いました。「初心者はどうしてもあちこち、部分的な所をうまく描こうとして、その細部にこだわってしまうところがある。しかしそのこだわっている部分は、あくまでも全体の一部であっ て、その一部が全体の他の部分と良いバランスを保っているということが大切なんだ」と。
わたしはこのお話を聞いて、なるほどと思いました。わたしたちの人生観もそうあるべきだと思いました。わたしたちは今直面している問題や試練に、どうしても焦点を合わせてしまいがちです。全体像を忘れ、そのひとつの問題や試練だけしか目に入らなくなってしまうのです。ところでわたしたちの人生の全体像とは何でしょう? それは「神の愛で包まれている」ということではないでしょうか? この全体像から目をそらしては、試練や困難は正しい意味をなさなくなってしまいます。
困難な人間関係や遭遇する大変な状況も、学ぶべきことは多くあり、私たちが成長するために必要なものばかりです。主が愛してくださっているんだという視点から人生を捉えると、それらの問題や試練も受け入れやすくなるのではないでしょうか。
デッサンの話に戻りますが、全体のバランスをうまくとりながら、各部分を描けるようになるには、何枚も描いて練習することが必要だそうです。わたしたちも、何度も練習する機会を主に与えていただいているのではないかと思います。
今遭遇している部分的な問題、試練を取り扱いながら、その中に 主の愛を見出し、また主の愛の目を通して物事を見るという練習を。
<祈り:>主よ、私たちがとるに足らないことに心を囚われ、大切なあなたの愛と憐みの掟を見失わないように助けて下さい。愛と憐みをないがしろにして、律法ばかりにこだわっていたパリサイ人に「ぶよはこしているが、らくだは飲み込んでいる」とあなたは言われました(マタイ23章24節)。どうかあなたの愛にしっかりと結びついていられるように、わたしたちを日々訓練し、助けて下さい。