11月19日 慰める人となるために (ひとしずく 高原だよりより)
うちしおれている者を慰める神 (第二コリント7章6節)
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。(第二コリント1章4節)
神様は、「慰めの神」です。どんな患難の中でも慰めてくださいます。そしてその神様からいただく慰めをもって、他の人をも慰めることができるようになるのです。
今、試練の最中にありますか?「どうしてこんなことが自分に起こったんだ」と嘆いていますか? もう終りだと感じていますか? もしかしたら、神様は将来、同じような苦しみに遭っている人たちを慰め、励ます存在としてあなたを用いるために、今しばらくそのような試練を通過するのを許しておられるのかもしれません。主は、むやみにわたしたちに試練を与えられません。主は、愛する者を失って悲しんでいる人を見て、涙を流されました(ヨハネ11章36節)。
わたしたちが悲しむと、主も悲しまれます。主は、わたしたちが弱さを持っているのをご存知であり、そんなわたしたちを喜ばせたいと願っておられます。しかし、主が、特別な愛と知恵のご計画のもとに試練を許される時には、決して、慰めや恵み、そして逃れ道なしにあなたを 一人取り残されるようなことはされないと約束しておられます。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。(第二コリント1章6節)
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。(詩篇23章4節)
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(第一コリント10章13節)
だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。(第一テサロニケ4章18節)